みなさま
こんばんは!
人生のテーマを考える時を与えてくださった出会いの一場面が書かれている
雑誌が図書館でも見つかりませんでした。
図書館で借りて読んだことは事実なのですが、真剣みが足りないのですね。
それではここにネットからの・・・
朝比奈宗源老師とサラリーマンの松原哲明氏の出会いと人生のテーマです。
青年は臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。小学校で教師に僧職を否定さ
れたこともあったのだろう、青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。その日
の気分だけで過ごす若者にとって、サラリーマンは気楽な稼業だった。
ある日、会社の行事で講演会が開かれた。講師は鎌倉円覚寺管長の朝比奈宗源老師。青年は
寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目
になった。寺を嫌った自分がなんて坊主
の話を聞かにゃならんのか――。気分は乗らない。青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲わ
れた。と、朦朧(もうろ
う)とした頭に老師の声が響いてきた。
「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」。
青年はムカッとなり、途中で会場を出た。サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、現代語
で勝負しろ――。しばらくして、人事担当から電話が入った。朝比奈老師が貴賓室に戻られたか
ら、寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。
面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか――。
老師と対座した青年は、「私には仏心とやらが全く理解できません」と切り出した。
「お前さんは幾つじゃ」と老師。
「二十五歳です」
「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」
「どうしてですか」
「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」
「先生のお顔を見つめて聞いておりました」
「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。それじゃ仏心は分からん」
「どこを見たら仏心が分かるというのですか」
「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」
「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。
そう吐き捨てる青年に、老師は
「わしはお前さんと話をしているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」と立ち上がった。
「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言ってください」と青年はなおも迫った。
老師は真顔で言った。
「わしにはお前さんが、一生は1回しかないことを意識して生きているとは思えん。そんな若造としゃ
べる気がせんのじゃ」
「一生は1回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」。
老師は青年を見据えて言った。
「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。一生は1回しかないな。もう二度と人間に生まれること
はないな」
「はい」
「じゃ、聞くぞ。その二度とない人生をお前さんはどういう命題を持って生きていくのか。お前さんの
人生のテーマを言ってみい」。
青年は息が詰まった。そんなことは考えてもみなかった。
「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、言え。さあ」。
うろたえる青年に老師は続ける。
「一生は1回しかないというのに、二十五歳にもなって人生のテーマがないとはなあ。人生には分
かっているものが二つある。生と死だ。その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。こんな大切なことを
分からんままに生きていていいと思うか」
「思いません」
「だろう。だから古人は、一生一道、使命に燃えて生きろと言った。使命とは、お前さんは一体何に
命を使っておるかということじゃ。さあ、言え。言ってみよ」。
老師の気迫に青年はうつむくぽかりたった。
数日後、青年は「自分は朝比奈老師のような人間になりたい」と決意、禅の一道に自分を投げ出
し、以後の人生を禅僧として生き切った。いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。
生きる力の根源をこの逸話に見る。二度とない人生をどう生きるか。そのテーマを定めた時、そこ
に生きる力は湧いてくるのである。
そして別のところには
「寺の息子として生まれ育ったが、坊さんに成る気にはならず、普通の大学に進み、サラリーマン
生活を送っていました。しかし、哲明さんはサラリーマンを続けることに迷いを抱いていました。
或る時、会社が研修の講師に鎌倉円覚寺の朝比奈宗源老師をお願いし、哲明さんがその世話役
を命じられました。上司が朝比奈老師に松原哲明さんはお寺の出身
ですよと何気なく言いました。
すると朝比奈老師から松原と言えば松原泰道は良く知っているが、関係あるのか質問されました。
哲明さんは小さな声で、息子です、と答えました。すると雷が落ちたかのような声で朝比奈老師は、
お前ら若い者がこんなところで仕事をしているから、わしみ
たいな年寄りが今日のようにあっちこっ
ち回らねばならんのだ。こんな会社、さっさと辞めて、わしらのことを手伝え、と言ったそうです。
人生のテーマ あなた なに想う