2018年1月30日火曜日

怒らないでね

みなさま

こんにちは。
先日のことです。田舎町の中華屋さんに家族で夕ご飯をいただきに行った時の
一コマを今日は書かせていただきます。

ラーメン4 餃子4 唐揚げ 野菜炒め それと紹興酒一本。

カミさんと娘が顔を見合わせて一言。

「え!一本、酔っ払って怒らないでね。」



怒られた 想いが今の 我が支え

2018年1月26日金曜日

通る道

みなさま

おはようございます。
最近、道について考えさせられます。人生において歩まなければならない
道とでも言いましょうか、誰もが通る道でありながら人の数だけある道です。

中三の長男と小六の長女を観ていますと、恥ずかしいかな自分を観ているのでは
ないかと錯覚するほどに似ているところがあり、年齢的にも反抗期というか親離れの
準備を始めているようにも感じ取れます。
自分の親がしてくださったことはなるべく子供たちにもしてあげたいと思い考えて
いますので、ついつい観てしまうのです。

そして思うのです。そんなことをしていると大人になって苦労するよと。
これはこのブログにもたびたび書いていますが亡き母親に何度となく 言われた
言葉でもあります。



佐藤愛子さんの言葉を借りましてこの言葉を子供たちに贈ります。


《ところが実際に貧乏になってみますとね、どうってことはないんですよ。

朝になったらお日様は上がるし、夕方になったらお月様は出る》

《私の信条はね、お金のある時はあるように暮らせばいい。無い時は
無いように暮らせばいい。それでいいじゃないか。それだけの柔軟性を持つことが、

静かに暮らせるコツだと思うんですよ》

《何も苦しいことがなければ、幸福は生まれないのですよ。
幸福を知るには苦労があってこそなんだというのは、
苦労から逃げた人にはわからない真理だと思います。
苦しいことだらけの人生を生きた私は、幸福な人生だったと思うんです。

苦しい人生を力いっぱいに生きましたからね》

この佐藤愛子の言葉をしるきっかけを作ってくださったのが
「嶋中労」の浅酌低唱 なのであります。

これからも力いっぱい生きていきたいものである。

労さま、ありがとうございます。



生かされて この道を行く ただ一人




2018年1月25日木曜日

精神年齢

みなさま

おはようございます。

昨日の朝、ラジオを聞くともなく聞いていると徳川家康の話で73歳で亡くらった
ことと当時の平均寿命が35歳ぐらいであったことがながれていました。

そして夜寝る間際に子供たちに一言。

「こら!お前たちそれでいいのか」

と大声でやったのです。するとすかさずカミさんが・・・。

今朝になりましてやはりなんか引っかかっているんですね。
家康の時代は15歳にもなれば精神的にも大人であったのだろうと思ったのをきっかけに
自分の精神年齢をパソコンでチェックしてみたのです。
一回目、10歳 別のところで二回目を28歳。

10歳は別にして28歳は一度50歳代まで行き年と共に年齢が下がったものなのか
それともやっとこさ28歳になったものなのかと、つまらないことを考えています。

衣食足りて礼節を知るとありますが、今の日本人は何かを忘れてしまっている
ようです。こんなことを書いている自分自身も同類ですがね。

実年齢53歳 タニタの体重計の診断42歳  そして精神年齢28歳。



衣食足り 捨てる捨てるよ 日本人

2018年1月22日月曜日

雪の日に思い出した一句

みなさま

こんにちは。

雪が降る今、種田山頭火の一句を思い出しました。


雪ふる逢へばわかれの雪ふる


今晩お通夜に参列。




冬の日に 白に染まった 我が心

2018年1月21日日曜日

使用人

みなさま

おはようございます。
昨日は一本の電話から様々なことが起き最終的には酔いつぶれて
現在は二日酔いです。

以前こんな話を伺ったことがあります。
「神保町のTさんは親方ではなく使用人だよ」
この言葉を発したのは新橋のIさん。

今度はこのIさんが使用人になるんだって。
さんざん人を馬鹿にしておきながらこれだもん。

人の恨み嫉みの恐ろしさを学んだ日となったのです。

Tさんお天道さまは観ていますから。


イキがいい 死んでしまえば ただ以下に

2018年1月19日金曜日

なんとなく温泉気分

みなさま

おはようございます。
数日前のことです。物置の軒下を廃品処理をしていると出て来るではありませんか
お宝が。そのお宝は備長炭それも白。

これで肉や魚、いや自家野菜を焼きオリーブオイルをソース代わりにしてみれば
お安いイタリアン風の完成です。ワインと合わせれば素敵な週末が約束されること
間違いなし、後はおねーちゃんをどのように騙すかがが課題となるだけですね。

こんなことを書きますと何を夢のようなことを言っているのと指摘されますので
現実に戻り備長炭をお風呂の浴槽に入れてみました。たいした効果は期待をして
いなかったのですが、なんとなく温まるような気分でなんとなくリラックスできている
ような感じなのです。そこでなんとなく温泉気分と家族の者に言いますと、

「ああ!よかったわね」

そうです家族の者には備長炭が湯船に沈んでいることがじゃまなんです。
寂しいかな、はやい話が喜んでいるのは一人だけ。

それにしても記憶にない備長炭いつ頃からあるのだろうか。


内に秘め 熱き心の 備長炭

2018年1月15日月曜日

影響力

みなさま

こんばんは。
今日は新聞の影響力について書かさせていただきます。

我が家では父親が新聞を読んでいるときは、読売と朝日を6ヶ月交代で取り続けること
30年前後続いたのですが、父親の病気と共に購読を止めてしまったのです。
一昨年末に父親が亡くなりしばらくしてカミさんが勧誘が来たので毎日新聞を頼んで
おいたからと突然に伝えられたのです。(ここで少し家庭内トラブル)

そして6ヶ月を迎える時に続けてとお願いにきましたので、田舎者は「とりません」と
断ったのです。日を変えてまた勧誘に来た時、田舎者が不在でカミさんがまた受けて
しまったのです。さすがに温厚の田舎者でも販売店のやり方に腹を立て留守電に抗議を
録音し直接販売店へ出向くこと数回で配達員を捕まえて文句を言ったのです。それで
よくよく購読契約書を観ると産経新聞とあるではありませんか。そこで「産経で」と
契約をしてきたのです。

前置きが長くなりましたが、早い話が新聞の影響力は計り知れないということです。
産経を取り始めて数か月、今まで平気で韓国ドラマをテレビで見ていたカミさんが
「K国とT国は信用できないわよね。特に慰安婦問題はおかしいわよ、日本も芸能界や
スポーツにて受けいらなければいいんじゃない。」と、こんなことを言い始めたのです。

そうです。知らず知らずのうちに個人の思想が洗脳されてしまうのです。こんなふうに
書いた田舎者も仏教書物を毎日のように唱えていますので知らず知らずうちの洗脳されて
います。ただし、仏壇の仏さまにあげる曹洞宗の修証義ですがね。



小さくとも 計り知れない いのち有

2018年1月14日日曜日

末広がりの蜂

みなさま

おはようございます。
昨日は40数年ぶりに玄関に蜂の巣を飾ってみました。

まだ10歳にもならない田舎者が空の蜂の巣を手に帰宅すると、それを見た祖父初郎さんは
壊される前に手に取り巧みに糸を通して玄関に飾ってくれたのです。
その時なぜそこに飾るのとか聞いたような記憶があるのですが、
その返答は記憶が定かではありません。ただなんとなく「縁起物なんだよ」と言われた
ような気もするのです。

そこで検索、やはり縁起物であり、家内安全、金運上昇、商売繫盛などの意味がある
ことが分かったのです。

こんなことから祖父を思い返した昨日となり二日間休んでいたお酒も一杯もう一杯と
呑まれてしまったのでした。


蜂の巣で 祖父の思い 今知りて

2018年1月11日木曜日

身から出た錆

みなさま

こんばんは。
身から出た錆というタイトルにあるように、今日は散々な日となったのです。

朝布団の中で数回咳をするとしばらくして胃が痛み始めるではありませんか。
二十歳ごろに経験した胃痙攣がすぐに思い出されたのと痛みが重なります。
ただ今回は周期的にくる痛みで、やや痛いかなと差し込む痛さが交互にくる感じでした。

朝食昼食抜きで先程柔らかく煮込んだきしめんをいただいたところなのですが
やっとこさ胃の痛みが感じられなくなるようになったのです。

最近読んだ本の中に「身から出たものは自分の物ではないのだ」というようなことが
書いてあり具体的には「母親が息子を自分のものだと考えてはいけないのだ、出した
ものなのだから」というようなことが書いてありました。

それを自分に置き換えてあれこれ考えていたところだったのでが、日ごろの不摂生と
いう錆は胃痙攣となって帰ってきたは、例外もあるのだと教えられたしだいです。

そんなこんなで、お酒を休む日が増えてくらたなら今日の痛みは価値あるものへと
変わるのですがね。

おやすみなさい。


痛さ知り 貴女を想い 我想い

2018年1月8日月曜日

講ではなく家族にて。

みなさま

こんばんは。
今日は家族にて三峰神社に参拝をし、御祈祷をしていただきました。

十年ほど前までは村の4家で三峰講を行っていたのです。毎年交代交代で参拝をし
お札(火防・. 盗賊除け・諸災除けの 3 枚)を4家分持ち帰りその家に集まり下山講
(宴会)を行っていたのです。

十年ほど前と言えば母親が亡くなった年の二日前にも順番の年で講をとり行った
記憶が残っています。その年は当然のごとく宴会は行わず年が明けてから、豚カツなどの
料理を配って済ませたのです。そんなこんなで高齢化にともない下山講が大変になった
ことから翌年代表者がお札を配り解散したのでした。

十年ぶりの三峰神社は気に満ち溢れていて心身ともに浄化されていると感じとれる
ほどだったのです。慾を言えば切りがないのですが、このような場所で野宿でもした
ならば、心底から気に満ち溢れより穏やかになるだろうと考えてみたのです。
さすがに、この季節では凍死してしまいますがね。

今朝焼餅を食べながら三峰神社に参拝に行くと言い出したわけですから、家族の者は
どの様に感じたかはしれませんが田舎者的には気の充電になり充実した日となった
のでした。

それにしてもブームらしくて人が多いこと多いこと。



三峰の 木からいただき 気を満ちて 

2018年1月7日日曜日

九万七千円

みなさま

こんばんは。

今日は年末にしなかった階段周辺の掃除をカミさんとしてみました。
ゴミや不要物の他に小銭が出てきました。人参の種缶の中に一円五円に紛れて
百円玉十数枚と五百円玉が一枚出てくるではありませんか。
早速、五百円玉貯金箱へ投入。

そしてその後、一足先に昼飯を済ませておいたので。カミさんと娘が食事を
とっている間に何を自分でも思ったのかは分からないほどに、そうです二人の前で、
衝動的に缶切りで貯金箱を開け始めてしまったのです。

数えてみると九万七千円。十万円にはちと足りませんでしたが納得の金額です。
一年ほど前から禁酒して五百円で始めた貯金で禁酒はすぐに挫折をしましたが
事あるごとに五百円を使わずに貯めた結果だったのです。
塵も積もれば山となるを実践したことに対してカミさんは喜んでいる風に
見受けられました。

そして、カミさんが娘に向かって一言。

「何に使うと思う。」

ゴージャスに高いお酒を呑むんでしょ。

「違うわよ、花の中学の制服と自転車を買うのよ。」
(これは前もってカミさんに告げておいたのです。)

ありがと。とうさん

こんな昼下がりの一時を過ごしたわけですが、今年は慾をかいて三十万円貯金に
挑戦することを二人の前で口走ってしまいました。
今度こそ自分で使おう、だってこの貯金を始めた時にカミさんに問われていたのです。

「何に使うの。」

ゴルフクラブ。

「信じらんない。」



一言の 信じらんない 釘刺され 

2018年1月6日土曜日

臭いは旨い?

みなさま

こんばんは。
今日は久しぶりに鍋を振ってみました。鍋を振るとカッコよく表現をしたものの
作り上げた品は、古漬け白菜の炒め物です。

白菜漬けが古くなり発酵が進み表面に膜が出来るほどにほったらかしておくと
とても酸味が強くなるのです。これはこれでそのままでも食べられなくはないのですが
油で火を通すことにより、発酵臭が穏やかになり、際立っていた酸味はまろやかに
なるのです。

これを肴に一杯やると、安上がりな幸せの出来上がりです。子供のころ母親に
作ってくれとねだったことが思い出されます。

最近、自分のあちこちから臭いと感じられます。加齢によるものや不摂生がその原因で
あるのですが、臭いは旨いではありませんが、臭くともそれなりの男でありたいと
思う今日だったのです。


臭くとも 女が集まる 心あり

2018年1月4日木曜日

気が付かないだけで

みなさま

おはようございます。
昨日は新年三日目にして初めて雑煮を食べました。
我が家は当然ながら関東風でもしかしたら江戸風かもしれないレシピです。

出しに鶏もも肉、里芋人参大根を入れて煮込み醤油で薄く味付けをし
焼いた伸し餅と小松菜を加えてひと煮たちしたら、お椀によそり、ナルトと
柚子を添えて完成です。
自分で作って言うのもなんですが、餅うまいです。

年末の30日直売所の営業が最後なので職員とパートさんに一切れづつ餅を差し入れ
したのです。その日の閉店間際にKさんからこんな言葉が。

「餅なめらかでうまいね」

自分では分かんないんですよ。

「他の餅食ったことねえんだろう」

ざっとこんなような会話だったのですが、そうです他と比較をしようとも
しなかったし、ほかで食べたいとも思わなかったからなのです。

そしてこの正月。元日はカミさんが元旦サッカーの当番で不在。
残り物を一日いただいて就寝。二日、カミさんと長男は福袋を買い求めに
朝から不在、帰宅後は娘を迎えに実家へ。この日も残り物をいただいて就寝。
そして三日目、家族そろって雑煮をいただくことができたのです。

前置きが長くなりましたが、なにが言いたいのかというと、人は自分が
気が付かないだけで幸せのなかを生きているということです。
それはお金や物があるとかないとかの問題ではなく、今この時を自分が
どの様に感じるか次第であるからなのです。

言葉にしたり文にしたりすることは難しものです。学生時代のつけが今表れて
きたようです。そういえば母親がこんなことを繰り返し言っていました。

「のりゆき、お前は大人になって人前に出て苦労するよ」

確かにその通りの今があるのが現状です。これもまた幸せのなかを生きている
ことになるの?




幸せは 自分自身の 内側に

2018年1月3日水曜日

美しき人になりたく候

みなさま

新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

毎年かわらぬような正月をここ数十年繰り返していますが、これからの
自分にこの言葉を贈り、ここに写させていただきます。

会津八一先生が門人大泉博一郎にあてて、
「御同様、気をつけて落ちつきて、美しき人になりたく候」
と書き送られた一言が、しみじみと身にしみて思い出されるこの頃である。
 (死にざま 生きざま 紀野一義 まえがきより)

自分自身これからの人生をどのように生き抜くのかは知るよちも無いのですが
美しき人になりたく候と想い願うばかりなのである。



美しき そんな自分に 逢いたくて