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2021年11月16日火曜日

命日の手打ちうどん

 みなさま

おはようございます。去る11月13日は母の命日でありまして、カミさんが夕ご飯に手打ちうどんと精進揚げを用意してくれて仏壇に娘ががあげてくれたのです。

そのうどんの美味しさもさることながら15年前の日の事やらなどが次々と思い出されるから不思議なものです。そして少量のうどんでお腹いっぱい胸いっぱいでウルウルとなってしまった田舎者です。

翌朝の朝食は仏壇に上がったうどんを煮込んでいただいたのです。そして今年も思い出したのが種田山頭火の一句だったのです。


うどん供えて 母よ 私もいただきまする


この一句と毎年この時期に母にあげて食するうどんで、山頭火に近づき、供養の意味が少しずつ分かりはじめたような気がするのである。



山頭火よ 母よ うどんよ ありがとうございます

2021年8月17日火曜日

支えの言葉『苦労』佐藤愛子

 みなさま

おはようございます。田舎者の自分が毎日スマホのメモ機能に移した言葉を時間が空くごとに支えの言葉として読み返しております。それは佐藤愛子さんの言葉なのです。

『何も苦しいことがなければ、幸福は生まれないのですよ。幸福を知るには苦労があってこそなんだというのは、苦労から逃げた人にはわからない真理だと思います。苦しいことだらけの人生を生きてきた私は、幸福な人生だったと思うんです。苦しい人生を力いっぱいに生きてきましたからね』

若かりし頃の田舎者は苦労はしなくて済むものならあえて買ってまでするものではないと思い考えていたのですが、母が亡くなり15年父が亡くなり5年目を迎えようとしている今、苦労はするものだということがわかったのである。

今、子供たちが自分がそうであったように苦労の苦の字も知らないかのように我がままなことをしているが、一年でも一日でも早く佐藤愛子さんの苦労の言葉に目を開けてもらいたいものである。いや一人でも多くの人たちに目を開けてもらいたい。



目が覚めて 日が昇る 日々

2021年5月10日月曜日

Hirosi

 

みなさま

おはようございます。水越けいこさんが歌うHirosiです。

ぜひ、お聴きください。


2020年12月12日土曜日

朝のルーティン、水越恵子


 みなさま

おはようございます。田舎者の朝のルーティンは水越恵子さんのこの曲を聴きながらの布団上げです。

生まれ変わる為に。

2020年2月8日土曜日

愛燦燦

みなさま

おはようございます。
昨晩は愛燦燦聴き終え就寝へとなったのです。
美空ひばりさんの歌は音痴な田舎者にとっても惹き付けてやまない
素晴らしさが感じられるのです。それと同時に詩がとても素敵なのです。
それではここに書き写させていただきます。

愛燦燦
 
雨 潸潸(さんさん)と この身に落ちて
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛(まつげ)に憩(いこ)
人生って 不思議なものですね

風 散散(さんざん)と この身に荒れて
思いどおりにならない夢を 失(なく)したりして
人はかよわい かよわいものですね
それでも未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)
人生って 嬉しいものですね

愛 燦燦(さんさん)と この身に降って
心秘そかな嬉し涙を 流したりして
人はかわいい かわいいものですね
ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う
人生って 不思議なものですね
ああ 未来達は 人待ち顔して微笑(ほほえ)
人生って 嬉しいものですね


布団に横になって聴いているといつの間にかカミさんが脇で洗濯物をたたんでおりました。
「歌を上手に唄える人ってうらやましよね」と声をかけてみると
「ほんとだよね」という一言が飛んできたのです。

そしてみなさまの愛燦燦はいかなるものなのでしょうか。



強い人 心秘かに 淡々と

2019年11月29日金曜日

うどん供えて

みなさま

おはようございます。
昨日のことです。姉がお線香立てにやってきました。その目的の一つに両親の命日に
あげることができないので、その間をとっての日だったのです。

子供のころから母親が地粉で打ち上げた飴色のうどんで育った姉弟ですから今でも
うどんが大好きな二人です。そこで父親がお世話になっていた病院の近くのうどん屋さんに
カミさんと三人で出かけうどんを楽しんできたのです。ちなみに田舎者は旨辛肉ネギ汁に
1㎏のうどんを平らげてきて夕ご飯を抜きにして寝てしまったのです。

そんなこんなで今朝思い返したのが種田山頭火の一句です。

うどん供えて 母よ 私もいただきまする

山頭火がどのようなおもいでこの一句を詠んだのかは凡人の田舎者にはわからない。
ただ、田舎者には田舎者の両親が田舎者の内側に今でも生きている。


田舎者が 田舎者を 田舎者する

2019年10月29日火曜日

悲しくてやりきれない

みなさま

おはようございます。
数日前のことです。ワインを口にしながらテレビの電源を入れると〝秋の夜長に聴く名曲”
なるものが数曲流れ始めたのです。その中の一曲にその時から頭の中を占領されているのです。
初めて聴いた曲でもないのですが突如として襲い掛かってこられのっとられてしまったのです。
それではここにその詞を写させていただきます。


悲しくてやりきれない          
                   作詞 サトウハチロウ
                   作曲 加藤和彦
                   唄  ザ・フォーク・クルセダーズ

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか

深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も続くのか

この詞を繰り返し口ずさんでいると、法華経の教えの一つを思い返しました。
それは 常懐悲感 心遂醒悟

常に悲しみを懐いて、心遂に醒悟す。
悲しみを愚痴にしてこぼしたり、憎しみに変えたりせず、悲しみを大切にする人は、
なかなか抜け出すことのできない病の中から、ついに抜け出すことができる。



秋の夜長 いつものように 呑んだくれ
 

2018年11月27日火曜日

道元禅師五十四歳

みなさま

こんにちは。
今日は道元禅師のことを書かせていただきます。

建長五年八月五日、道元は病気療養のため京都に向かい、高辻西同院の俗弟子覚念の館に
入った。そして八月二十八日の夜半、五十四歳で世をさったのである。

永平寺十四世建撕和尚の著わした『建撕記』の記述によると、入寂前のある日、道元は
法華経神力品の一節を低声に誦しながら室内を経行し、やがて筆をとって面前の柱に書き
その終わりに妙法蓮華経庵と書きとめたという。その一節とは次のごとくである。

「若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舍。若在殿堂。若山谷曠野。
是中皆応起塔供養。所以者何。当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提。
諸仏於此転於法輪。諸仏於此而般涅槃。」

「もしは園の中においても、もしは林の中においても、もしは樹の下においても、もしは
僧房においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷曠野におい
ても、この中に皆塔を起てて供養すべし。所以はいかん、まさに知るべし、この処はすな
わちこれ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)を得、諸仏こ
こにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃(完全円満な大いなる死)したもう」
 「禅 現代に生きるもの」 紀野一義より

昨晩、夕食後に仏壇に手を合わせこの神力品の一節を唱えてみました。そしてこれからは
夜の日課とすることと決めてみました。間もなく五十四歳になる田舎者の誓いです。



五十四 今まで何して 生きてきた 

2018年3月7日水曜日

こぶしの花

みなさま

おはようございます。
三月の声を聴きずいぶんと暖かくなりましたが、どのような日々を
過ごされていますか。

春に咲く花だからというわけでもないのですが、時々思い出す詩の一つに
大木惇夫さんの‟こぶしの花”があります。そこできょうはここに写させて
いただきます。

こぶしの花

辛夷は 白きはなながら
つくづく見れば影もありけり
影と見えつつ
かうがうしくも寂び明かりけり

作者の言おうとしている本当のことは分かりませんが、好きな詩なんですね
時々ふと思い返すのです。
人もまた光と影をもちわ合わせて一つになっているのでしょうか。


結ばれた 光と影と 貴女へと

2018年1月22日月曜日

雪の日に思い出した一句

みなさま

こんにちは。

雪が降る今、種田山頭火の一句を思い出しました。


雪ふる逢へばわかれの雪ふる


今晩お通夜に参列。




冬の日に 白に染まった 我が心

2017年6月21日水曜日

愛とは

みなさま

こんばんは。

美空ひばりさんが歌われた『愛燦燦』の歌詞です。



雨 潸々と この身に落ちて 
わずかばかりの運の悪さを 恨んだりして 
人は哀しい 哀しいものですね
それでも過去達は 優しく睫毛に憩う 
人生って 不思議なものですね

風 散々と この身に荒れて
思いどおりにならない夢を 失なくしたりして
人はかよわい かよわいものですね
それでも未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って嬉しいものですね

愛燦々と この身に降って 
心秘そかな嬉し涙を 流したりして 
人はかわいい かわいいものですね
ああ 過去達は 優しく睫毛に憩う 
人生って 不思議なものですね 

ああ 未来達は 人待ち顔して微笑む
人生って 嬉しいものですね



愛とは太陽であり、母であり、森羅万象であるのではないでしょうか。

人生って不思議なものですね。




生かされて 開いて観ても  もと同じ

2017年6月19日月曜日

広い世界

みなさま

おはようございます。


おほてらの まろきはしらの つきかけを つちにふみつつ ものをこそおもへ

会津八一先生が唐招提寺で詠んだ歌なのですが、この中に広い世界が隠れているのです。

唐時代、鑑真和上、シルクロード、ギリシャ文明、ジョン・キーツ。


この軸ですがオークションにて手に入れました。工芸品ですけどね。


小さいことは気にせずに、悠々と生きてみたいものである。




永遠に 響く言葉 ありがとう

2017年4月26日水曜日

盤珪禅師



みなさま

おはようございます。


ある意味ではの続きで考えていて思い出したのが盤珪禅師の逸話なのです。

ここに写させていただきます。


盤珪永琢(16221693)は江戸期の臨済宗の禅僧であるが、その盤珪を知る一盲人が

語っている。


およそ人間は他人の好事に祝辞を述べる際、言葉と裏腹に嫉妬の響が聞こえてくる。

逆に他人の不幸に対して慰撫の言葉を投げかけるときには、密やかな歓びが感じられる。


それが凡俗の人間の性状というものだ。必ず自我が顏を出す。ところが盤珪はそうではない。

出来事が何であれ、相手が誰であれ、その発する言葉以外のものは何も聞こえて来ない。

慶事は慶事の侭。災厄は災厄の侭。実に不思議であると言うのである。



みなさま、いかがお考えになりますか。 




自我の芽を しらずに伸ばし 朽ち果てる

2017年3月29日水曜日

会津八一 『和敬清寂』


みなさま

こんにちは。


会津八一先生の『学規』と共に『和敬清寂』も手に入ることが出来たのです。


茶道の心得を示す標語であるのですが、我々茶道に縁のない人でも日本人ならば

心の奥底に持ち合わせている共通の感覚ではないでしょうか。




米食って 微笑み浮かべ 和みかな

2017年3月28日火曜日

会津八一 『学規』


みなさま

こんにちは!


先日、オークションにて工芸品ではありますが、会津八一先生の『学規』を手に入れる

ことができました。画像はそのものではありませんが参考までに写させていただきました。


『学規』

「ふかくこの生を愛すべし」

「かえりみて、己を知るべし」

「学芸を以って性を養うべし」

「日々新面目あるべし」


毎日自分に問わなくてはなりませんね。

学規にあう一日を過ごせたかと。





美しき人になりたく候

2017年2月10日金曜日

太宰府天満宮で一句

みなさま

おはようございます。


バカは風邪をひかないといいますが、田舎者はここ数日の強風で

体調を崩してしまいました。のどの痛みが強いので喉風邪のようです。


昨日、床で休んでいると、カミさんが声をかけてきました。

『夕ご飯いらないんだよね。楽しみにしている俳句見ないの』


床を抜け出しテレビへと向けると、課題が

「梅と大宰府天満宮」で一句だったのです。


夜が明けてふと、そのことが気にかかり句を詠み始めました。



太宰府の 香り届けよ ・・・・・



今ここでアップ中に・・・・・の部分を忘れてしまいました。

危ないので気をつけないといけませんね。車の運転などなど。



そこで改めて一句



太宰府の 香り届けよ 貴女へと



季語が入っていないとの指摘を受けまして、改めて一句。



太宰府の 梅香届け 貴女へと





日本の美 五七五と 刻まれて

2017年1月9日月曜日

伊藤左千夫と天地

みなさま

こんばんは!



先程から突然に伊藤左千夫の歌で頭を覆われてしまいました。



さびしさの極みに立ちて天地に寄する命をつくづくと思ふ

左千夫四十六歳



世の中を怖ぢつつ住めど生きてあれば天地は猶吾を生かすかも

左千夫四十八歳



世間のの目を怖しいと思い、小さくなって生きていた。それでもまだ生きている。

死なないでまだ生きている。これは天地がなおわたしをいかしていてくれるからだと

いっている。どんなに追いつめられても死ぬことはできない。おまえはまだこの世に

生きていなくてはならぬ人間だと天地が生かしていてくれるのだから、わたしは

死ぬわけにはいかない。

『佛との出会い』 紀野一義著より



天地に 生かされて 今の我

2016年11月21日月曜日

曹洞宗の檀家ですが

みなさま

こんにちは!


我が家は曹洞宗の檀家ですので、朝は仏壇にお水、お茶、ご飯を供えてお経を読むのが

日課となっています。ですがある小冊子を読んでいると聖書の「ヨハネによる福音書」の

第1章の冒頭が書かれてあり読むと言葉の大切さを強く感じさせられましたので、ここに

写させていただきます。



はじめにことばがあった ことばは神と共にあった ことばは神であった

このことばははじめに神と共にあった 

すべてのものはこれによってできた できたもののうち 一つとしてこれによらないものはなかった

このことばには命があった そしてこの命は人の光であった

光はやみの中に輝いている そしてやみはこれに勝たなかった



みなさま、美しい言葉使いができる人になりたいものですね。





美しい 言葉によって 生まれかわり

2016年11月19日土曜日

この季節を迎えると

みなさま

おはようございます。


この季節に迎えますと必ずとと言っていいほど思い返すゲーテの詩があります。

これは最近夢に出てくる貴女との思い出なのかもしれません。

それではみなさまとご一緒に読んでみましょう。



「銀杏の葉」

東洋からはるばると
わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は
賢い者のこころをよろこばせる
ふかい意味をもっているようです。

これはもともと一枚の葉が
二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけて
ひとつになったのでしょうか?

このようなことを思っているうちに
わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。
あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、
わたしが一枚でありながら あなたと結ばれた二ひらの葉であることを


本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。




雨の日に 黄葉の下で 貴女感じ

2016年11月18日金曜日

ありがとうの歌


みなさま

おはようございます。


ありがとうを考えていたら自然とこの「ありがとうの歌」を口ずさんでしまいました。

昭和の匂いがプンプンするのですのがとても爽やかです。


みなさまも一度歌ってみてください。





爽やかな 風を呼び込む ありがとう