みなさま
こんにちは。
今日は道元禅師のことを書かせていただきます。
建長五年八月五日、道元は病気療養のため京都に向かい、高辻西同院の俗弟子覚念の館に
入った。そして八月二十八日の夜半、五十四歳で世をさったのである。
永平寺十四世建撕和尚の著わした『建撕記』の記述によると、入寂前のある日、道元は
法華経神力品の一節を低声に誦しながら室内を経行し、やがて筆をとって面前の柱に書き
その終わりに妙法蓮華経庵と書きとめたという。その一節とは次のごとくである。
「若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舍。若在殿堂。若山谷曠野。
是中皆応起塔供養。所以者何。当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提。
諸仏於此転於法輪。諸仏於此而般涅槃。」
「もしは園の中においても、もしは林の中においても、もしは樹の下においても、もしは
僧房においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷曠野におい
ても、この中に皆塔を起てて供養すべし。所以はいかん、まさに知るべし、この処はすな
わちこれ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)を得、諸仏こ
こにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃(完全円満な大いなる死)したもう」
「禅 現代に生きるもの」 紀野一義より
昨晩、夕食後に仏壇に手を合わせこの神力品の一節を唱えてみました。そしてこれからは
夜の日課とすることと決めてみました。間もなく五十四歳になる田舎者の誓いです。
五十四 今まで何して 生きてきた
こんにちは。
今日は道元禅師のことを書かせていただきます。
建長五年八月五日、道元は病気療養のため京都に向かい、高辻西同院の俗弟子覚念の館に
入った。そして八月二十八日の夜半、五十四歳で世をさったのである。
永平寺十四世建撕和尚の著わした『建撕記』の記述によると、入寂前のある日、道元は
法華経神力品の一節を低声に誦しながら室内を経行し、やがて筆をとって面前の柱に書き
その終わりに妙法蓮華経庵と書きとめたという。その一節とは次のごとくである。
「若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舍。若在殿堂。若山谷曠野。
是中皆応起塔供養。所以者何。当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提。
諸仏於此転於法輪。諸仏於此而般涅槃。」
「もしは園の中においても、もしは林の中においても、もしは樹の下においても、もしは
僧房においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷曠野におい
ても、この中に皆塔を起てて供養すべし。所以はいかん、まさに知るべし、この処はすな
わちこれ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)を得、諸仏こ
こにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃(完全円満な大いなる死)したもう」
「禅 現代に生きるもの」 紀野一義より
昨晩、夕食後に仏壇に手を合わせこの神力品の一節を唱えてみました。そしてこれからは
夜の日課とすることと決めてみました。間もなく五十四歳になる田舎者の誓いです。
五十四 今まで何して 生きてきた
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