みなさま
おはようございます。
ある意味ではの続きで考えていて思い出したのが盤珪禅師の逸話なのです。
ここに写させていただきます。
盤珪永琢(1622~1693)は江戸期の臨済宗の禅僧であるが、その盤珪を知る一盲人が
語っている。
語っている。
およそ人間は他人の好事に祝辞を述べる際、言葉と裏腹に嫉妬の響が聞こえてくる。
逆に他人の不幸に対して慰撫の言葉を投げかけるときには、密やかな歓びが感じられる。
逆に他人の不幸に対して慰撫の言葉を投げかけるときには、密やかな歓びが感じられる。
それが凡俗の人間の性状というものだ。必ず自我が顏を出す。ところが盤珪はそうではない。
出来事が何であれ、相手が誰であれ、その発する言葉以外のものは何も聞こえて来ない。
慶事は慶事の侭。災厄は災厄の侭。実に不思議であると言うのである。
みなさま、いかがお考えになりますか。
自我の芽を しらずに伸ばし 朽ち果てる
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