2016年11月17日木曜日

眼の痛み

みなさま

おはようございます。


昨日、眼科受診をしてまいりました。数日前のことです。車を運転していると左眼に違和感を

感じたのです。痛みを伴い全体というか裏側まで感じたのです。

診療結果は疲れ眼なのですが、今回は眼科医院を変えてみました。


実は母方祖母は眼の病気がもとで失明していて、母親の兄弟姉妹も同じようになっているから

なのです。そして自分自身も今までに帯状疱疹やらで眼には不安を抱えていたので医院を変えて

みたのです。


そんなことから、林梧堂の「生活の発見」の何も見ないために登った話を思い出したのです。

これはアメリカの婦人が中国人の友人と杭州付近の山へ登った時の話である。


「霧の深い朝であった。登るにつれて霧はだんだん深くなった。」という書き出しで始まり

「やっと頂上に着いて回願すれば、霧と靄が漠々と立ちこめるばかり、遠くの丘の輪郭が水平線上に

見えるばかりであった。」と結びに繋がってゆくのです。

『だってここでは何も見えないじゃないの?』と彼女は抗議した。

『それがいいんですよ。われわれは何も見ないためにここへ登ったんですよ』

これが中国人の友人たちの答えであった。

物事を見るのと見ないのとは、たいへんな違いである。物事を見て歩く多くの旅人たちは、本当は

何も見ていない。何も見ない多くの人たちは、多くの物をみている。


眼の痛みから様々なことを考えてみました。

みなさまは、何を見て生活をしているのですか?

心の眼を大事になさってください。


本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。




なくなって 初めてわかる 宝物

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