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2023年7月29日土曜日

頭山立助さんの奥さまつる子さん

 みなさま

おはようございます。前回の続きでございまして、頭山立助さんの奥さまつる子さんです。

『この人の奥さんのつる子さんは、嫁に来る時、一生看病させて頂きますといってこられたそうであるが、結婚式に参列された大森曹玄老師が、「あのひとはいつお目にかかっても、お嫁に来た時と同じように初々しいひとだ」と感心しておられたのが忘れられない。初心を少しでもなくさなかった女性だったのである。夫の立助さんが男の精気満ちた人だったことも、彼女の初々しさのひとつの大きな原因になっているのかもしれないが、それにしても大したものである。私は妻の条件に「やさしく、深く、あたたかく、限りなく赦すひと」の四つをあげるのであるが、つる子さんはまさしくその通りのひとだったのであろう。立助さんは息を引き取る前に、「つる子は私の神様だ」と記して死んだ。夫にそう書かれる妻が、いま、幾人あるであろうか。』法華経の風光 紀野一義より

このようなことを踏まえて「疲れているから会いたい」と言われる人に成りたいものである。


おわり。

2023年7月27日木曜日

頭山立助

 みなさま

おはようございます。数日前の事です。なんとなくスマホを見ているとこんな言葉が目に留まり保存をしてしまったのです。

『疲れているから会えない』って言ってくる人より  『疲れたから会いたい』って言ってくれる人と付き合いたい

そこで思い返したのは『戦前に頭山満という国士がいた。この人の息子の頭山立助という人は中国の東亜同文書院に学んでいる時、肺を病んだ。同室の日本人が肺を病んで喀血した時、「こんなものなんでもないじゃないか」と、力づけるために飲んでみせたという男である。そのために生涯肺を病み、病床にあったが、昔の剣道の仲間が「今日は気分が滅入って仕方がないから立助さんに見舞われて来よう」といって訪ねてきたそうである。そして皆、元気になって帰ったそうである。病床にあっても不思議な男の精気に満ちていたのであろう。』法華経の風光 紀野一義より

『疲れているから会いたい』と言ったこともなければ言われたこともありませんが、頭山立助さんのような人を真の日本男児と呼ぶのではないでしょうか。そして奥さんのつる子さんはもっと素晴らしく素敵な人なのです。

日本国は日本男児や大和撫子を輩出した素晴らしい国であることを少しでも分かっていただきたい願うばかりなのです。

おわり。

2020年6月14日日曜日

平心

みなさま

おはようございます。
我が家のトイレには平心と書かれた色紙が額装して掛けてあります。作者は時代劇の水戸黄門や大岡越前の題字を書いた鎌倉円覚寺の朝比奈宗源老師ですでに亡くなられております。そして毎日と言うより食事の回数×2から3回ほど便座そわり眺めていますのでその時々余裕がある時にはとりとめもない事を考えてしまうのです。

その一つが平心とは落ち着いた心やおだやかな心との意味合意から会津八一先生の弟子でもあった吉野秀雄先生の『やわらかな心』という言葉を連想しそこから吉野先生も歌を思い返したのです。

称名に安心はなし揺れやまぬかなしき心うながせば申す

この歌は何を言っているのかというと、「お念仏を称えても心は安まらない。それはよく分っていても、私の揺れやまぬかなしい心がお念仏申せ、お念仏申せと促すので、私は念仏を申すのだ、というのです。」紀野一義先生、全身全霊でいきるより

自分では平心のように生きているつもりだが、傍から観るとそうではないらしい。他人に戦いを挑んでいく激しい田舎者ととらえているという噂が流れ流れついたのである。



人生 激しく やっこくて

2020年5月9日土曜日

出でよ

みなさま

おはようございます。
出でよ(いでよ)と読みます。意味は出てきなさいと命令形なのです。今日はなぜこんなことを書いているかというと、会津八一先生が弟子の大泉博一郎氏に宛てた手紙の一節を読んでいて何かを身体で感じとったからなのです。それではその一節をここに書き写させていただきます。

『深く強く激しく暗く悲しくも而も大なる道をゆく人の一人にても出でよ。』

こんな人に成りたいものである。いやこんな言葉を吐ける人に成りたいものである。
55歳の春。




而も而も而も

2019年6月25日火曜日

共通点

みなさま
おはようございます。

三島由紀夫の『不道徳教育講座』というエッセイ集を読み初めまして分かった
ことがあります。田舎者との共通点があるということです。それは坊主頭。
え!それ?それだけです。

エッセイを読み進めると三島由紀夫の大きさがわかるのです。早い話が頭が良くて
何事にも経験豊富。それなので文章は読者を引き込む力を持ち合わせているのです。

そんなこんなで考えてみますと一つだけ田舎者が勝っているものがあるのです。
田舎者55歳。



美しき人に成りたく候

2019年5月15日水曜日

日本はアジアの光である。


みなさま

こんにちは。
日本の教育において欠けているものは、本来持ち合わせている日本国民の魂を
教えないことにあるのではないでしょうか。

今朝、検索を繰り返しているうちに次の文章に出会うことができました。
みなさまにも読んでいただきたくここに移させていただきます。


名越二荒之助氏著 「日韓2000年の真実」より

インドネシアのアリ・ムルトポ准将の日本擁護
アジア各国の軍部代表がマニラに集まった時の事、例によってフィリピンと韓国の代表
が、延々と戦争当時の日本軍と日本民族と現在の日本企業を罵倒する演説を打った。
列席のアジアの親日家たちは、「韓国代表の演説は痛烈無残で聞くに堪えなかった。
だが、列席の日本代表(自衛官)は一言も発しなかった」と悔しがった。

そこで、インドネシアのアリ・ムルトポ准将は、韓国の軍人に向かって次のように日本を
擁護した。(准将はアセアン結成の中心人物)

日本はアジアの光である。大東亜戦争は欧米人にアジア人の勇敢さを示したもので、
チンギス・ハーンとともにアジア人の誇りである。


「ここで、インドネシアの日本民族の価値についての見方を申し上げる。
今、忽然として日本民族がこの地球上から消えたら、アジアとアフリカは非常に困る。
その時に韓国が一番困ると思う。韓国は工業大国日本と競争したから、立派な工業国に
なれたのである。もし、日本がシンガポールの地点にあったら、
インドネシア人は少なくとも百万人が日本に住み、日本人と同等の教育を受けるから、
その人間関係から日本の技術、市場、金融、スタッフ等活用することができる。
だから企業の成功は容易である。つまり、日本の近いところに位置していることは、
幸運なのだ。経済的支援を連続的に受けていると言ってもよいくらいだ。
インドネシアが日本に近ければ、今のような貧弱なインドネシアではない。
つまり、我々インドネシア人は『日本はなにもしてくれなくてもよい』と考えている。
日本は欧米と肩を並べて進歩しているだけで十分アジア・アフリカにつくしている、
と考えている。だから、我々アジア人は外交面に弱い日本を支援したいと思っている。
日本から援助をもらうだけで応援しないのでは運命共同体とは言えないし、
対等のパートナーとも言えないのではないか。」


美しい 大和魂 永遠に



2017年7月1日土曜日

大和魂

みなさま

おはようございます。


数日前からの腰痛で野良仕事が出来ず、役立たずで呑み食いし寝て排泄するだけの

時を過ごしています。


そこで、途中であった「武士道」を読み進めて今に至ったのです。

何が分かったかと言えば自分の知らない自分の奥底、根底には「武士道」が眠っていることや

吉田松陰が死刑前夜に歌った歌に秘めた想いは日本人として生まれてきた者にとっては、

これもまた脈々として受け継がれているということです。あるものはそれにきずき、またあるものは

きずかずに、いや認めようとしないで死んで逝くだけのことなのです。


それではみなさま一緒に読んでみましょう。


かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂




眠りから 大和魂 蘇り

2017年6月15日木曜日

日本語は難しい

みなさま

こんにちは。


最近、読み直している本があります。

新渡戸稲造 奈良本辰也 訳・解説の『武士道』です。


読めない漢字を調べながら読み進めているのですが、難しいです。お酒を呑んだ後の床で

本を開くと読んでも全く身体に残らないほどの難しさでいつ間にか寝ています。


もう少し分かりやすい言葉で訳していただけるとありがたいのですが、考えてみるとそれでは

武士道にならなくなってしまうのかもしれないと気が付いたのです。


それにしてもなぜ新渡戸稲造は日本語で書かなかったのでしょうか。その答えは何度か読み返して

答えが見つかるはずです。そして自分の中に眠っている“日本精神”が蘇ってくると想います。


日本語は難しい。今、自分が使っている言葉はなんちゃって日本語であるのです。


みなさま、正しい日本語を使っていますか。




日本人 言葉以上の 立振る舞い

2017年3月21日火曜日

今我国には小人多し。

 出家人はもとより身に財宝なければ、智慧功徳を以てたからとす。他の無道心なるひがごとなんどを、直に面てに表して非におとすべからず、方便を以てかれの腹立つまじきやうに云ふべきなり。暴悪なるはその法久しからずと云ふ。たとひ法を以て呵嘖するとも、あらき言葉なるは法も久しからざるなり。小人下器はいささかも人のあらき言葉に必ずすなわち腹立ち、恥辱を思ふなり。大人上器には似るべからず。大人はしかあらず。たとひ打たるれども報を思はず。今我国には小人多し。慎まずんばあるべからざるなり。
                                              『正法眼蔵随聞記4-16』


 出家した人はその身に財をもたず、智慧と功徳をもって宝とする。よって、他者の仏道への帰依の心がないことからくる間違いなどを、すぐに顔色に出して非難すべきではない。うまく言葉を使ってその人が腹を立てないよう話すべきである。激しい言葉で説いては仏の教えも長続きしないと言われる。たとえ、仏の教えにしがって叱責しても、荒い言葉では仏の教えも長続きしないのである。つまらない人はちょっとした人の荒い言葉でも必ずすぐに腹を立て、恥をかかされたと思う。度量の大きな人はそれに似ることなんてない。立派な人は、たとえ殴られても、仕返しなんてしようとは思わない。今我が国には、つまらない人が多い。だから、(荒い言葉は使わず)控えめにしておかなければならない。

                                              『現代語訳』

みなさま

おはようございます。


ここに写させていただいたのは道元禅師の夜話を弟子の懐奘が書き留めた、

『正法眼蔵隋聞記』の一話の抜粋です。


何度となく読み返しているのですが、ただ読んでいるだけなので内容はさっぱり頭の中へと

入ってきません。ただし数週間前から『今我国には小人多し』という言葉に引っかかってしまい

改めてこの4-16を探し求め読み返してみたのです。せっかくの機会なので現代語訳を見つけて

読み返してみると、今の日本国というか我々にあてはまる言葉でもあることに驚き、また

自分自身への課題を見つけた事になったのです。


みなさま、どのように感じ取られますか。



時超えて 今に生きたる 佛さま

2017年3月8日水曜日

維摩経にたどり着く時

みなさま

こんにちは。


ただいま、この季節の名物、申告が深刻な状態の日々を過ごしている田舎者です。

そんな中でもふとしたことから維摩経が読みたくなったのです。そこで検索です。


維摩経  佛典講座 9 に目が留まりました。

なぜかというと、著者が紀野一義先生であったからなのです。


そこでまた検索。Amazonで¥4,644。中古品でも¥3,723.。そこで思いついたのが

ヤフーオークション。有りました有りました。¥500のスタートです。

即、入札です。


翌々日のことです。ふとしたことから探し物をしに物置へ。そこにですね、15年ほど前に

引っ越してきた荷物の中に欲しかった“維摩経  佛典講座 9”があるではありませんか。

買ったままの状態で新品そのもの、恥ずかしいことですがこの本は何年眠っていたことやら。

参考までに価格は¥2,500。ヤフオクの終了結果は、¥510にて落札されていました。

もし、張り合っていたならばいくらまで値が付いたことやら。


そんなことから今回考えさせられたのは、何事にも時があるということです。確かに百姓を

しておりますと種をまく時がずれると商品価値のないものができることは分かっているのですが

人の人生もまるきり同じであるということを教えられたのです。


維摩経の本を買ったがいいがまるきり開かない時。

維摩経の本が読みたくなって探し求め手元に届く時。

維摩経の本を読み、すべてが分かる時。


そう今この時が維摩居士と邂逅の田舎者なのです。




2,000年 経て邂逅す 維摩居士 


2016年3月19日土曜日

男らしく

みなさま

おはようございます。


今日は会津八一先生が、弟子の大泉博一郎にあてた手紙の一節を写させていただきます。


 「すべて落ちつきて仕事のすべてに一つづつに充分、力の入るやうに御勉強なされたく候。

一生涯にて為したることの数は多からずともよし、その一つづつによく力をこめて静かに進む

べし。此の人にあらずばよく為しがたしと思ふばかりの事、一つにても為さば、ただ其一事の

みにて、其人は勝利者となり、成功者ともいふべし。貧乏にても名声はなくとも、やはり其人は

成功者、勝利者たるべし。かならずあせらず落ちつきて御進みなさるべく候。

 人は八面多角にてもよし、一方一面一意一徹にてもよし、但しどちらにしても落ちつきて意思強く

自重、自敬、自尊、自得なるべし、一方一面に貫徹すれば四方八面 に目もひらけ来るものなけ

ば、すべて外界からの刺戟誘引に目を閉ざして自分の志を重しとし、其志の赴く方へ全力を用ゐ

らるれば急がずとも自分として行くべ きところ行き得るところまでは行けるなり。

ただし、此落ちつくといふことは我等にても今尚ほむつかしきことの一つにて考へ居ることにて、

折々おもひ 出しては落ちつくやう落ちつくやうと心がけて居るありさまにて候へば、貴下の年配とし

てはむしろ当然とも考へられることながら、御同様気をつけて落ちつき て美しき人になりたく候。」

 


笑われてもいい、男らしく、美しき人になりたく候。

2016年2月24日水曜日

人生のテーマ

みなさま

こんばんは!


人生のテーマを考える時を与えてくださった出会いの一場面が書かれている

雑誌が図書館でも見つかりませんでした。

図書館で借りて読んだことは事実なのですが、真剣みが足りないのですね。


それではここにネットからの・・・

朝比奈宗源老師とサラリーマンの松原哲明氏の出会いと人生のテーマです。
 

青年は臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。小学校で教師に僧職を否定さ

れたこともあったのだろう、青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。その日

の気分だけで過ごす若者にとって、サラリーマンは気楽な稼業だった。

 ある日、会社の行事で講演会が開かれた。講師は鎌倉円覚寺管長の朝比奈宗源老師。青年は

寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目 になった。寺を嫌った自分がなんて坊主

の話を聞かにゃならんのか――。気分は乗らない。青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲わ

れた。と、朦朧(もうろ う)とした頭に老師の声が響いてきた。

 「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」。
 
青年はムカッとなり、途中で会場を出た。サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、現代語

で勝負しろ――。しばらくして、人事担当から電話が入った。朝比奈老師が貴賓室に戻られたか

ら、寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。

面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか――。

老師と対座した青年は、「私には仏心とやらが全く理解できません」と切り出した。

「お前さんは幾つじゃ」と老師。

「二十五歳です」

「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」

「どうしてですか」

「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」

「先生のお顔を見つめて聞いておりました」

「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。それじゃ仏心は分からん」

「どこを見たら仏心が分かるというのですか」

「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」

「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。

 そう吐き捨てる青年に、老師は

「わしはお前さんと話をしているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」と立ち上がった。

「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言ってください」と青年はなおも迫った。

老師は真顔で言った。

「わしにはお前さんが、一生は1回しかないことを意識して生きているとは思えん。そんな若造としゃ

べる気がせんのじゃ」

「一生は1回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」。

 老師は青年を見据えて言った。

「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。一生は1回しかないな。もう二度と人間に生まれること

はないな」

「はい」

「じゃ、聞くぞ。その二度とない人生をお前さんはどういう命題を持って生きていくのか。お前さんの

人生のテーマを言ってみい」。

青年は息が詰まった。そんなことは考えてもみなかった。

 「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、言え。さあ」。

うろたえる青年に老師は続ける。

「一生は1回しかないというのに、二十五歳にもなって人生のテーマがないとはなあ。人生には分

かっているものが二つある。生と死だ。その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。こんな大切なことを

分からんままに生きていていいと思うか」

「思いません」

「だろう。だから古人は、一生一道、使命に燃えて生きろと言った。使命とは、お前さんは一体何に

命を使っておるかということじゃ。さあ、言え。言ってみよ」。

 老師の気迫に青年はうつむくぽかりたった。

 数日後、青年は「自分は朝比奈老師のような人間になりたい」と決意、禅の一道に自分を投げ出

し、以後の人生を禅僧として生き切った。いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。

生きる力の根源をこの逸話に見る。二度とない人生をどう生きるか。そのテーマを定めた時、そこ

に生きる力は湧いてくるのである。


そして別のところには

 「寺の息子として生まれ育ったが、坊さんに成る気にはならず、普通の大学に進み、サラリーマン

 生活を送っていました。しかし、哲明さんはサラリーマンを続けることに迷いを抱いていました。
 

或る時、会社が研修の講師に鎌倉円覚寺の朝比奈宗源老師をお願いし、哲明さんがその世話役

を命じられました。上司が朝比奈老師に松原哲明さんはお寺の出身 ですよと何気なく言いました。

すると朝比奈老師から松原と言えば松原泰道は良く知っているが、関係あるのか質問されました。
 

哲明さんは小さな声で、息子です、と答えました。すると雷が落ちたかのような声で朝比奈老師は、

お前ら若い者がこんなところで仕事をしているから、わしみ たいな年寄りが今日のようにあっちこっ

ち回らねばならんのだ。こんな会社、さっさと辞めて、わしらのことを手伝え、と言ったそうです。






人生のテーマ あなた なに想う

2016年2月1日月曜日

あらためて

みなさま

こんばんは!


あらためて感じています。日本国に日本人として生まれた幸せをです。

先日、こんな話を聞きました。小学6年生の男女数人が前日から友達宅に全員泊まり

川越市からバスでディズニーランドへ遊びに行き大人では考えられないような買い物等を

して2万円を使い帰りは電車で帰宅したそうです。後で親が一人ついて行ったと聞いたの

ですが、なんとも平和な日本国です。


日本国に生まれた幸せを強く感じるきっかけを作ったのは一冊の本です。そのタイトルは

「おじいちゃん戦争のことをおしえて」です。その中には日本人が正面から向かい合わずに

逃げていた近代、現代史と大東亜戦争と敗戦、復興などがことこまかく書かれています。

ここに書かれている日本の歴史認識はアメリカから押し付けられた歴史ではなく、日本人の

眼で観られていることに大きな意味があるのです。そして沢山の日本人の命と引き換えに

今があるということは忘れてはならないことなのです。今とは、日本国だけではなく世界各地

で白人社会からの独立した国々が多数あることなのです。


たしかに日本国は平和で豊かな国です。ですがあらためて感じます。押し付けられた

憲法を日本国憲法としているようでは真の独立国家の日本国とはいえないのではない

でしょうか。


山河大地、神羅万象すべてが八百万の神であり佛である日本国、素敵な国です。





日本人 世界平和への 立役者

2015年12月15日火曜日

手紙談義

みなさま

おはようございます。


先日、野坂昭如さんが亡くなられましたが、家の光と言うJAグループが発刊している雑誌の

12月号に連載第14回。手紙談義 農を棄てたこの国には明日はない。があります。

今日はそこからのブログアップです。

野坂昭如→山下惣一


書き出しは

山下惣一様へ

人間などインチキなものである。
だが、風まかせ、人まかせ過ぎた。

戦争はさまざまものを奪う。負けた国は当然、失うものも大きい。ではじまるのである。

自らの戦争体験と戦争に対する思いを書きつずっていくのである。


その一節に食のことに触れている。

昭和二十年、戦争は終わったが、人手不足、肥料不足、加えてこの年は天候不順で全国的な

不作となり、日本は飢えに苦しんだ。

戦勝国アメリカは、余剰農産物を援助、ぼくもこれによって命を救われた。

農民の努力によって、どうにかこれまでの八割程度の自給が可能となった頃、アメリカは日本に

向けてパン食を推奨。

その原料は、アメリカからやってくる。徐々に米の消費は減り、自給率低下、確実に日本の農は

潰されていった。これこそアメリカの占領政策。お上を筆頭に、日本人はあっさり受け入れていく。

敗戦で飢えの恐ろしさを身に沁みこませた日本人。・・・・・

戦後七十年を径て、アメリカの占領政策が、ボディブロウの如く日本にきいている。

・・・・・・。


種苗会社の言葉に「種を制する者は世界を制する。」があります。アメリカの種苗会社には

世界の9割以上の植物の種子が保存されているそうです。


談義の末文に

戦後七十年、安保法成立。かつては皇軍、戦後はアメリカの傭兵、それでしか日本は、

生き残れないというのか。


みなさまは、日本についてとくに食についてどのようなお考えをおもちでしょうか。




有り余れば腐る食材






 

2015年5月12日火曜日

心体リズム

みなさん

おはようございます。


しばらく前から歯の治療をしているのですが、歯医者での待ち時間に

『石橋を叩けば渡れない』 西堀栄三郎

を持参して読んでいました。この本も25年来の付き合いですから何度となく

読み返していますが、その都度新しい発見があります。


この西堀さんは第一回の南極越冬隊長であり、エベレスト登山総隊長でもあります。

南極越冬中に人間関係を大事にしたいと考えから隊員が欲求不満にならないようにと

悩んだそうです。そこで考えたのが動物的欲求と人間的欲求です。


動物的欲求とは性欲、食欲などで自分でも自覚できるものであります。

人間的欲求とは何だか分からないことが特色で満たされないと人間はおもしろく

なく、クサるそうです。そこで徹底的に研究したとのことです。


人間の意欲はどこから出てくるのか。それは働く人には考える余裕を。

それと、意欲のもとは自発性。そんなことから人間的欲求とは、『自分で考えたように

実行したときに満たされるもの』との結論に至ったそうです。


この詰らないブログ。これもまた田舎者にとっての人間的欲求を満たしてくれるもので

心体のリズムを整えてくれるくれるのではないかとの考えに至ったのです。


これもまた日頃の行いです。




毎日が お天道様に 見守られ

2015年3月22日日曜日

無知の涙

みなさん

おはようございます。


今朝、朝採りキャベツの収穫に向かうべき玄関を戸を開けると、鶯の鳴き声が

冴えわたりました。春ですね。


本題は鶯ではなく『無知の涙』です。最近様々な事件が日本をはじめ世界各国で起きています。

人種差別の問題。宗教の問題。嫉妬。嫉みなど。事件が起こる原因はさまざまです。そんなこと

から30年前に手にして読んだ本 『無知の涙』を今、読み返しているのです。


仏教では学者というと学ぶべきものがある者で、無学というと学ぶべきことが無い者であると

教えていただいた記憶がありますがこれはいまここで通じることでもありません。


作家であり犯罪者で死刑執行された永山則夫は何を教えてくれたのか今一度考えてみなくて

成らない時を田舎者は迎えたようです。





平等 生まれて死ぬ 他は無し

2015年3月15日日曜日

金の成る木


みなさん

こんにちは!


我が家の金の成る木に昨日花が咲きました。本来なら11月頃から咲くのですがね。

そしてもう一つの金の成る木を紹介しましょう。


養田実先生・講述 『野に咲く本物の人々を訪ねて』 という小雑誌が手元にあります。

今から20年以上前に手に入れた物ですがしばらく自宅で行方不明になっていたのですが

金の成る木に花が咲く数週間前にふとしたところから出てきたのです。その中の一文を

ここに載せさせていただきます。


   金の成る木

 もし世の中に金の成る木があるとしましたら、ということで、私は今、金の成る木を作って
いつのです。・・・・・・・

 金の成る木の根っ子は、たてまえではだめという事で、ホンネ(本音)にしました。そして
幹をショージキ(正直)という幹にしました。

 枝は、ヤルキ(やる木)・コンキ(根気)・マケンキ(負けん気)・ホンキ(本気)・ゲンキ(元気)・
ユウキ(勇気)・ ハヤオキ(早起き)・リチギ(律気)という枝にしました。

 肥料は何かと言いますと、笑顔・挨拶・後始末です。笑顔で挨拶をして、後始末をしてまし
たら、必ず、素晴らしい実が成ると思うのです。

 どんな実かと言いますと、誠の実で誠実、確かな実で確実、忠義の実で忠実、真実・徳実
とか、いろんな実がなると思うのです。

 でも、植えてはいけない木もあります。ヨワキ(ヨワキ)とタンキ(短気)と、ビョウキ(病気)と
ウワキ(浮気)です。


みなさん如何でしょうか。




世の中は 観えない縁で 結ばれて
 

 


2014年10月18日土曜日

返せないもの

みなさん

おはようございます。


昨晩のことです。

秋の夜長、ごろごろしながら本を眺めていましたら、いつの間にか寝てしまいました。


本の題名は 「ええなあ!という人生」 紀野一義先生

その中の章に、悲しみから逃れずに。というのがあるのですが、この一年半程でしょうか。

何度となく読んでいます。いや読まされているのかもしれませんが・・・


この章の一つに、人間は受けたご恩をその人には返せない。があり、

未知のある読者の方からの手紙内容を載せながら話が進んでいきます。

その手紙は、次のような出だしで始まります。

 拝啓 「底ぬけの風光」 を読ませていただき、一つお聞きしたいことがあり、

初めてお便りする者です。


内容を簡単に書きますと、母親代わりに育ててくれた祖母が亡くなり、今までの恩を返せない

自分に気がつき、とても後悔しているということです。


そして、本に書かれていたことについて尋ねるようになります。

 ところが先生の御本には 「親を裏切り、師を裏切った者には取り返しはつかない」

とありました。 「生涯ついてまわる。返したってだめである。返せないものである」

とありました。祖母が亡くなってしまって、確かに、返すことは出来ないのですが・・・


著者はすぐに返事を書いたそうです。

それは、「私の烈しい言葉がどんなに深く傷つけたかと思うと、一刻も早く手紙をかいて

あげる責任を感じたからです。」 と本には書かれています。


そして、章の結びへと向かいます。それは父親からの教えです。

私は子供のときから父親に

「人間は、人さまから受けたご恩をその人には返せないものなんだよ。だから、

受けたご恩は、自分の周りにいる他の人にお返しするしかないのだよ」

と教わりました。そのとおりだなあと思います。


みなさんも恩について考えたことがあるかと思われますが、50を迎えて

そんなこんなの田舎者です。

返せないもの、あまりにも多すぎます。





恩 亡くなってから 気がつくもの






 


2014年10月14日火曜日

JA雑誌 『家の光』から 3かな

みなさん

こんばんは!


今回は山下惣一さんの手紙を写させていただきます。



 テレビ局の女性ディレクターがわが家へやってきてこういうのです。
 「現代の若者や子どもたちに農業と食べものの大切さを伝えるにはどうしたらいいのでしょか?」
 うーん。私は考え込んでしまいましたよ。正直いって私にもいい知恵はありません。どうしたらいい
のでしょうか。昔から「満腹の子に、躾はできない」といいます。
 「まあ、一度飢えてみるしかないでしょうね」と私はいいました。この問題を長い間考えてきたので
すが私の結論はこれでした。知識で教えてもダメ、体で覚えるしかない。頭で覚えたことは忘れるが
体で覚えたことは忘れない。悲しいかなこれが人の習性のようですね。二度飢える必要はないが、人間は一生に一度は飢えを体験する仏要があるのではないか。これは人間としてのひっこ必須体
験だ。私はひそかにそう考えていますが、
(略)
 さて、昭和二十年の敗戦の年私は小学校の三年生でした。戦後の食糧難を農村で体験したわけですが引揚者や非農家の家庭では田舎でも大変深刻だったようです。学校に弁当を持ってこられ
ない生徒がいて「欠食児童」と呼ばれ、昼食時間には外に出て膝を抱いてじっと空を眺めていた光
景が今も忘れられません。
(略)
 考えてみれば日本人が等しく満足に食べられるようになったのは昭和四十年以降でまだわずか半世紀、たったの五十年。それまでは歴史的に慢性的な食糧不足と飢餓の時代だったのですよね。
(略)
飽食の時代に育った世代がいまや一家の中心に坐っています。飽食の時代は農業軽視の時代
でもあります。
(略)



今日、母校の学習ボランティアにて、塩おにぎりを作ったが炊飯の途中で二人の手紙談義を読んで聞かせた。さみしいかな生徒の反応は無いに等しかった。






膝を抱え 空を見上げて  なに想う 

JA雑誌 『家の光』から 2かな

みなさん

おはようございます。


今日は野坂昭如さんの手紙の一部をここ写させていただきます。


日本は食べものに飢えた経験をもつ。だが戦後、まずアメリカによる食糧援護を受け入れたのを
機に、自国の食いものについて、アメリカの言いなりになってしまう。米を食べると頭が悪くなる、
かわりにパンを食えと、大々的にパンの普及の宣伝がなされ、アメリカの小麦を大量に輸入する
ようになった。一方、農業基本法、減反政策、国の農業政策はことごとく自国の食糧自給という
観点から遠のくばかり。日本ほど四季に恵まれた国は珍しい。細長い島国、全国各地でその地域
に合った農業が行われてきた。それを十把一絡げ、農を経済的観点からだけ考え、やれ成長させ
ろ、攻める農業を目指せとお上は国を挙げていう。農は生きる基本である。収穫だけじゃない。
農業のおかげで水の保全がなされ、山を守り、土を養い、この島国の自然が築かれてきた。
もっぱら食うだけ。土もろくに触れたことのない連中が多くなり、自らの足もとのあやふやさに気が
つかないままでいる。今の日本、農業を棄てようとしている。農を棄てた国は滅びる。農には文化、
伝統がある。農を棄てるということはこの国の文化を棄てるということ。人間にとって農とは何なの
か 、僕は懲りずに考え続けている。



みなさんも一緒に考えてみませんか、秋の夜長に!






農は 頭ではなく 体で覚えるもの