2017年3月8日水曜日

維摩経にたどり着く時

みなさま

こんにちは。


ただいま、この季節の名物、申告が深刻な状態の日々を過ごしている田舎者です。

そんな中でもふとしたことから維摩経が読みたくなったのです。そこで検索です。


維摩経  佛典講座 9 に目が留まりました。

なぜかというと、著者が紀野一義先生であったからなのです。


そこでまた検索。Amazonで¥4,644。中古品でも¥3,723.。そこで思いついたのが

ヤフーオークション。有りました有りました。¥500のスタートです。

即、入札です。


翌々日のことです。ふとしたことから探し物をしに物置へ。そこにですね、15年ほど前に

引っ越してきた荷物の中に欲しかった“維摩経  佛典講座 9”があるではありませんか。

買ったままの状態で新品そのもの、恥ずかしいことですがこの本は何年眠っていたことやら。

参考までに価格は¥2,500。ヤフオクの終了結果は、¥510にて落札されていました。

もし、張り合っていたならばいくらまで値が付いたことやら。


そんなことから今回考えさせられたのは、何事にも時があるということです。確かに百姓を

しておりますと種をまく時がずれると商品価値のないものができることは分かっているのですが

人の人生もまるきり同じであるということを教えられたのです。


維摩経の本を買ったがいいがまるきり開かない時。

維摩経の本が読みたくなって探し求め手元に届く時。

維摩経の本を読み、すべてが分かる時。


そう今この時が維摩居士と邂逅の田舎者なのです。




2,000年 経て邂逅す 維摩居士 


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