みなさま
おはようございます。今日はクリスマスイブ、みなさま一人一人にあなただけのサンタクロースが訪れますように。
56歳になってもサンタクロースを信じている田舎者です。どこにいるのかって?あなたの内側にがヒントなのかもしれません。
神も仏もサンタクロースもあるものか
会津八一 “八一”という名前は1881年8月1日に生まれたから、 小学校卒業の時、将来の夢と聞かれて、同級生はほとんど総理大臣や陸軍大将になりたいと書いた。しかし、八一はたった一人、ただの農民として一生を暮らしたいと書いた。 そんな八一に憧れる百姓です。
おはようございます。40年以上前の歌謡曲、松原みきさんが歌っていた❝真夜中のドア/stay with me❞を聴いたことがありますでしょうか。動画の中のインドネシア人の女性が歌うようになり世界的なヒット曲となっているそうです。松原みきさんは2004年44歳で亡くなられていますが、今どのような気持ちで世界的ヒットとなった真夜中のドア/stay with meを思われているのでしょうか。
そんなこんなで新宿ルイードや六本木ピットインのライブハウスにて松原みきさんが歌う真夜中のドア/stay with meをはじめ数々の曲によって我が青春の1ページが思い返されます。
今思えば青春 松原みき
おはようございます。昨日からこの動画と共にスクワットを始めました。その後ウォーキングに出かけたのですが脚全体が特に太もも自分の物ではないような感覚にというか筋肉の緊張のような張りがしばらく続いたのです。これで体脂肪が落ちて腹周りが85㎝になります。
なぜスクワットを始めたかというと食事やアルコール制限をしないでウォーキングをしても体脂肪が減りずらいとの実体験からなのです。年月を掛けてため込んだ内臓脂肪は強敵です。長い目でダイエットに取り組めば体質改善になるのでしょうが、愚か者は結果を直ぐに求めてしまうのです。
56歳の冬。
食って寝て出すだけの人生
みなさま
おはようございます。二日前の事です。15時頃でしょうか、軽トラにて畑へ向かうと7~8人の自転車の小学生4~5年生ぐらいのグループにすれ違いました。そこから30mほど進んだところでそのグループの一人であろう子が自転車を降りて何やら格闘しているように観えてしまったのです。
その時少し迷ったのですが、軽トラを止め、小学生に『どうしたんだい?』と声を掛けてみると、『チェーンが外れちゃって・・・』とのことです。『おじさんが直してあげよう』と言うと直ぐに先ほどのグループも近寄ってき一人一人がいろいろなことを話し始めてたのです。
ほどなくしてチェーンがはまりました。すると先ほどまでと変わりグループの一人が『みんなでお礼を言おうよ』と一声かけたのです。その一言で少し恥ずかしくなりその場を立ち去ろうとすると『ありがとうございました』が次から次へと聞こえてきたのです。軽トラに乗りこむ際に振り返って見ると、子供たちが楽しそうに小学校へ向かう姿をしばらく見てしまったのでした。
少し恥ずかしい自分と少し嬉しい自分がそこにいたのでした。
純粋な子供たち ありがとう
みなさま
おはようございます。リバウンドなのでしょうか、ウォーキングを始めてひと月で1.5㎏の減に成功したのですが、いただいた日本酒と身体が無性に卵が食べたい言い張り卵などを食べると経った一日で元の73.0㎏へ戻ってしまいました。時別な食事制限やアルコール制限はしていなかったにも関わらずです。なぜなんでしょうね。
そんなこんなで父親が幼少期に生卵が食べたいとご飯茶碗を投げつけ、祖父が近所で譲ってもらったという話を思い返しました。
その話を最初にしてくれたのは祖父の妹で昭和元年生まれ、父は昭和8年生まれ、その間にも祖父の妹がいますので時代柄兄弟のように育ったのではないでしょうか。卵が食べたいから80年以上前の一コマがよみがえりました。父の命日が12月3日なので不思議なものです。
小さな贅沢 味噌汁卵
みなさま
おはようございます。昨日高3の息子と仏壇の掃除をしてみました。進路が決まったのをきっかけにして今まで自分が行っていた仏壇の掃除を月1回掃除してくれないかと息子に話してみたのです。学費等の関係からかなんとなく承諾してくれ、そしてその最初の日が昨日だったのです。
最初ですから親子で切り花を買い求めるところから線香を上げて手を合わせるところまで一通り行ったのです。息子は分かったような分からなかったような顔をしていましたが、来月からは一人で行ってもらいたいものです。
この仏壇の掃除をすることでご先祖さまへの感謝の気持ちが芽生えてくれたらと願うばかりです。親バカですね。そしてご先祖さまはなんて思っているだろうか。
ご先祖さまに感謝 この生に感謝
みなさま
おはようございます。 そしてひと月ぶりのブログ更新となります。ひと月更新しなかった理由はこの詰まらないブログであっても書かなかったのではなく書けなかったが本当のところです。ま!人生そんな時が一度や二度訪れるのが当たり前なのですからなんてことはありません。
そんでもってこのひと月間続けていたことは夕飯前の5.3㎞のウォーキング、結果は1.3㎏減で体重が73.0㎏から71.7㎏へ内臓脂肪も1%の減でベルトの穴も一つ縮めてズボンをはくようになりました。継続は力なりを自分の身体で会得したのです。
そしてひとつ分かったことがあります。それは姿勢が悪かったということで特に歩き方が悪かったようでして足の指が使われていない状態だったようです。なのでなるべく裸足で過ごす時間を増やし、またなるべく裸足に近い地下足袋やソールの薄いサンダルを履くようにしています。そんなこんなで今のところ足が冷たくて眠れない日はこの冬一度たりともありません。
歩き方を知り始めた55歳の冬です。
使って身体ポカポカ 足の指
みなさま
おはようございます。お久しぶりです。田舎者はとうとうウォーキングを昨晩から始めてみました。高血圧治療にと血圧計を買い求め一つ一つ原因であろうものを塗りつぶしていきましたが高血圧が改善されず。残ったのが運動不足、その不足をウォーキングで補おうとしてみたのです。
そして今日は大学病院での内科診察。高血圧で親しらずの抜歯が出来ないことで、内科に回された次第なのです。
他人を観ていてそんなことはしないだろうと思っていた自分がウォーキングを始めることに、その自分の身体のあちらこちらがガタピシガタピシというようになってきたのです。これもまた見方を変えると幸せなのかもしれませんね。
みなさまは、いかがでしょうか。
ガタピシガタピシ 歳相応
みなさま
おはようございます。数日前に歯科医の梯子診察の話を書きましたが、その際に抜歯するにあたって高血圧が気になるとの指摘を受けました。それからしばらく事あるごとに血圧を測定しているのですが、一向に下がる気配がありません。(上が150~190、下が100~110)
そんなこんなで何が原因なのかを一つ一つ塗りつぶしてみました。その一つが無呼吸症候群改善のシープアップという空気を送り込むマスクをつけての就寝。
そんなことからある一つのことが分かってきたのです。それは砂糖です。ここ二ヶ月くらいでしょうか集中力が高まるということでブドウ糖(ラムネ)を頻繁に口にしていたのです。そして調べてみるとその砂糖が高血圧を招くのとのことが書かれていたのです。
糖分によってドロドロになった血液は腎臓にてろ過されるわけなのですが、その腎臓が悲鳴を上げるとともにドロドロであるために身体の末端まで血液を流すためには心臓への負担が増え高血圧になるとのことです。
そんなこんなで昨晩から飲酒を止め、ラムネを止め、食べ過ぎを止め・・・。その代わりに腎臓マッサージとシープアップを付けての就寝するようにしてみたのです。そして先ほど血圧を測ってみると160の95。少し明るい兆しが見えてみたように感じられます。
爺臭い あなたも成りますよ
みなさま
おはようございます。この秋に再び取り組んでいる豚の干し肉。そこでイタリアのラルドを調べていると、イタリアのトスカーナ地方において大理石採石場において労働者がパンの上に薄くスライスしたラルドをのせて食べていたそうである。そしてこの地で作られるラルド・ディ・コロンナータは最高品質であると。
そんなこんなで思い返したのが香港や中国南部、台湾のラード飯。労働者たちのお腹を満たすための貧乏飯であったとも書いてあり、日本の卵掛けご飯も貧乏飯であるとのこと。
生前母親から戦中戦後の食べ物が無かった時代の話を度々聞かされたが、白いご飯に生卵を掛けて食べる事なんて農家においてもそう簡単に食べれなかったことなどがよみがえります。そして今でも我が家では家族そろって卵掛けご飯を食べているのである。
貧乏飯というけれど食べれれることだけで感謝しなくてはならないのだと自分に言い聞かせている。なぜなら飢えを知らない世代に生まれてきた人の出来る一つの事だから。
飢え出来る事なら 知らずに生きたい
みなさま
おはようございます。昨日は歯科医のはしごをしてまいりました。町場の歯科医では対応が困難である左下の親しらず。そこで大学病院へ紹介状を持って診察に行ったわけなのです。
親しらずの抜歯も生え方によって難易度が変わるそうで田舎者場合はかなり高く時間も2時間ほどはかかるであろうとのことです。
そんなこんなで抜歯するにあたって血圧が高いとのこと、術ごは左顎が脆くなるとのことからしばらくは静かな生活が求められそうです。
抜歯予定日は11月13日、この日は母の命日に当たります。その日に親しらずを抜歯するなんてこれもまた何かの計らいなのでしょうか。
親しらず 母思う 55の秋
みなさま
おはようございます。2週間ほど前から豚の塩漬けを仕込んでいます。豚の部位は頬から肩にかけての肉で日本でいう豚トロに当たるところです。
イタリアにおいてはベーコン、パンチェッタ(三枚肉バラ)、グアンチャーレ(豚トロ)、ラルドを明確に使い分け、例えばカルボナーラやアマトリチャーナのパスタにおいてパンチェッタとグアンチャーレで論争が起きるほどにこだわりがあるそうです。
そして今回の目標はなんちゃってグアンチャーレを仕上げることで最終的には家族にアマトリチャーナを振る舞おうとしているのです。
今回のことで再発見したことは豚肉は脂がおいしいということと脂も部位によって融点が違うとおいしさも変わってくるのだというのです。
カミさんの 白い目に 開き直り
みなさま
おはようございます。数日前カミさんが我が家で収穫された品で加工品を作ったのです。一つが利平栗で甘露煮。二品目がが無花果でジャム。三品目が青唐辛子と柚子での柚子胡椒。作ったからには誰かに食べてもらい、そして食べた人を笑顔にして喜ばせたい。そんな気持ちで新米と合わせて親戚や知人宅へおすそ分けをしたのです。
北海道の函館に住むカミさんの兄夫婦は2人とも小学校の先生であった。そして今も兄は先生を続けている。先生夫妻だからというわけではないのだが少し一般的な社会人と比較してみるとピントがずれているように感じられる。
そして先ほどの自家製品三品である。栗を食べておいしかった。ジャムを食べておいしかった。そこで柚子胡椒を蕗のジャムと勘違いをしてスプーンで口に運んだところ辛くて目が点になったという連絡が昨晩やってきた。その前に絵はがきでお礼の便りもあったのだが柚子胡椒のことをマスタードと書いていたことからカミさんと大笑いしたのである。『ふつう口に運ぶ前に香りとか確認しないかね』とカミさんが言ってきたので『先生だから』と自然に返事をしてしまったのである。
そこで改めて教えられたことは、先生と呼ばれる人は一般人では考えられないことを平気で行うことが多々あるようである。
先生 そんな呼び名に縁がなく
みなさま
こんばんは。池袋の暴走事故により初めて知った『上級国民』。亡くなられた親子や事故に巻き込まれた方々の事を考えればマスコミはこんな言葉を使ってはならないはずです。そして事故を起こした者に対して明らかに区別ではなく差別をした警察関係者。
そしてそれら以上におバカのが加害者であるたんなる爺さん。昔は偉かったかもしれないが事故を起こしたのは他の誰でもない自分なのです。それを今になっても自動車のせいにしたりして無罪であると主張・・・。
ここまで書き進めたのですが、マスコミのバカ、警察のバカ、昔偉かった爺さんのバカを相手にしている自分のバカさ加減が嫌になったのでここで終わりと致します。
バカと呼ばれ喜ぶバカ
みなさま
おはようございます。お久しぶりです。田舎者は農作業が思うように進まなかった9月でしたがみなさまにとりまして、どの様な秋の日々を過ごされていたのでしょうか。
何が主だか分かりませんが秋冬野菜の定植、キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、白菜がおよそ6,000株。そして水稲の刈り取り乾燥調製2町とコンバインの部品の破損による故障。それから玉葱の播種プラグトレイ288穴を97枚。それと秋雨前線による長雨。おまけに友達の帯状疱疹。
人生は何が幸いするかは分かりませんが、自分に余裕がない時には思うように進んでくれたらなと感じています。ま!自分に余裕がないから思うように進まないのが当たり前なのかもしれませんね。
秋 貴女に逢いたくて
みなさま
おはようございます。昨日は彼岸の入りでいつものようにご先祖さまのお墓参りへカミさんと娘と三人で出かけたのでした。ご本尊向かい手を合わせた後に桶などを準備してお墓に向かうと、花活けと線香台が見当たらず掃除の途中であろう状態と花と大きななカバンが置いてあったのです。
カミさんと娘が白い服を着た女性が花活けを持ってすれ違ったというので、水場へ向かうと途中でその女性らしき人が近づいてきましたので声を掛けてみました。
『あの、お墓間違っていませんか』すると『直美だよ』との一言です。なんだ直美かよとひとり言を言っていると直美はすたすたとお墓へ向かっていったのです。カミさんと娘にはいとこの直美だよと声を掛けると、カミさんは結婚式であっているにも関わらず『初めまして』と挨拶してしまうほどおどろき感いっぱいの状態です。
そして直美と共にお墓の掃除をして、花を生け水とおさごをあげた後に線香を上げたのですが、直美は火を使うのであぶないからと線香は持ってこなかったの事。カミさんがたくさんの線香に火を付けましたので直美に渡しあげると、ただあげるのではなくあげた後にしばらく手を合わせて何かお願いをしているような感じだったのです。
それから自宅に連れて帰り仏壇に線香を上げてもらいしばらく雑談です。すると一人でお墓参りに来た理由が、一心に手を合わせていた意味がわかったのです。昨年暮れに父親が倒れたことからその介護でお母さんが大変なことや自分自身が障害者になっていることを淡々と話してくれたのです。
直美だとわかった瞬間、なにか理由が無ければ母親の実家のお墓参りなど一人でするはずがないと思っていましたが話を聞いてみると複雑な気持ちになった自分がいたのでした。そして父親が公務員であって毎年のように家族で旅行をなどを繰り返していた子供のころの直美。傍から観てるとうらやましい時もあった小学生の頃でしたが、今回改めて教えられたことは、人はみな業・因縁によって生かされているということです。そしてご先祖さまはなぜこのような時をもたらしたのかをしばらく考えてみたいと思います。
生かされて