みなさん
こんにちは!
桜の事を考えていたら人間国宝の“志村ふくみ”さんにたどり着きました。
画像はWikipediaからのコピーです。
志村ふくみさんはノヴァーリスの詩が好きだそうです。
すべてのみえるものは、みえないものにさわっている
きこえるものは、きこえないものにさわっている
感じられるものは、感じられないものにさわっている
おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているのだろう
染色で桜色を出すには桜の花が満開になる直前でなくてはならないそうである。
そして志村さんは本の中にこう記しています。
その後、桜、桜と思いつめていましたが、桜はなかなか切る人がなく、たまたま九月の台風の頃
でしたが 、滋賀県の方で大木を切るからときき、喜び勇んででかけました。しかし、その時の桜は
三月の桜と全然違って、匂い立つことはありませんでした
。
その時はじめて知ったのです。桜が花を咲かすために樹全体に宿している命のことを。一年中、
桜はその時期の来るのを待ちながらじっと貯めていたのです。
知らずしてその花の命を私はいただいていたのです。それならば私は桜の花を、私の着者の中
に咲かせずにはいられないと、その時、桜から教えられたのです。
植物にはすべて周期があって、機を逸すれば色はでないのです。たとえ色は出ても、精ではない
のです。花と共に精気は飛び去ってしまい、あざやかな真紅や紫、黄金色の花も、花そのもでは
染まりません。
みなさん、花見で酔うだけではなく、桜の先にあるみえないものを観てみませんか。
道端の 小さな花が 語りかけ
2 件のコメント:
田舎者様
機を逸すれば色は出ない。
なかなか含蓄のある言葉です。
でも鮮やかな色は出なくとも、
相応の色は出るはずです。
人間にも20代の色、40代の色、60代の色と
いろいろにじみ出るものがあります。
予定調和という言葉がありますが、
ある年代にならないと、分からない事実、
人生の味わいといったものがあります。
ボクは齢に応じた〝色〟を出せばいいのだ、
と自然に考えます。自分以上の色は出せませんし、その必要もありません。
ナチュラルな自分の色、身の丈に合った
自分だけの色を出せばいいのではないでしょうか。
嶋中労さま
おはようございます。
百姓をしていますと種の播き時を守らないと商品にならい
作物に育ってしまいます。
具体的な例を上げると、キャベツや白菜の種播きです。
時を逃すと結球せずに花芽をつけてしまい。野菜としての
商品価値がなくなります。葉牡丹のイメージです。
それと同じように、縁を掴める人は時を追うのではなく
準備をして待っているのではないでしょうか。
労さまの言葉とふくみさんの言葉は実は同じなのではと
想うのです。ただ観方の違いだけで。
今年で50代どの様な色になるのか自分でも楽しみです。
個人的に好きな色は黄色! 幸せの黄色!
ありがとうございました。
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