みなさん
おはようございます。
春ですね。朝晩は冷え込む日もありますが日中はポカポカ陽気が続いた関係で
我こそと言わんばかりに咲き競っています。畑の雑草から黄色が眩しい菜の花
彼岸桜、青空に白く美しい木蓮などなど名前の知らない花が爽やかに咲いています。
その中でも今日は木蓮の話です。花言葉は《自然への愛、持続性》
白木蓮の柔らかな美しさと色合いに心が引き寄せられるのです。
なにがそう想わせるのかは分かりませんがね。
そして結びに木蓮の花言葉を調べていると別の漢字がで出来ました。
《木蘭》と書くそうです。これは昔、花がランに似ていることから呼ばれていたそうで
今日ではハスの花に似ているということで《木蓮》と呼ばれるようになったそうです。
これもまた、縁なのでしょうか。
人観えない縁に繋がれて
おはようございます。
春ですね。朝晩は冷え込む日もありますが日中はポカポカ陽気が続いた関係で
我こそと言わんばかりに咲き競っています。畑の雑草から黄色が眩しい菜の花
彼岸桜、青空に白く美しい木蓮などなど名前の知らない花が爽やかに咲いています。
その中でも今日は木蓮の話です。花言葉は《自然への愛、持続性》
白木蓮の柔らかな美しさと色合いに心が引き寄せられるのです。
なにがそう想わせるのかは分かりませんがね。
そして結びに木蓮の花言葉を調べていると別の漢字がで出来ました。
《木蘭》と書くそうです。これは昔、花がランに似ていることから呼ばれていたそうで
今日ではハスの花に似ているということで《木蓮》と呼ばれるようになったそうです。
これもまた、縁なのでしょうか。
人観えない縁に繋がれて
4 件のコメント:
田舎者様
おっしゃるとおり、だれもが〝えにし〟で
つながっているのです。天というか神というべきか、すべて宿命という名の思し召しです。
蓮の花は泥田の中でも泥に染まらず
美しい花を咲かせるといいます。
お互い、蓮の花のような清らかな人生を
歩んでいきたいですね。
ボクにはムリがあるかもしれないけど、
野壺に縁がある木蘭さんにやさしく教導
してもらいます。
田舎者さま、こんにちは。(*^^*)
しまふくろうさまに教えて頂き、
千葉から飛んできました。(笑)
ちょうど道をはさんだお向かいの庭の「木蓮」が咲いています。
お隣にしろお向かいにしろ、
私はいつも人ン家のお庭に、
楽しみを見出しているのです。(笑)
「清らかなること蓮華の如し」と日蓮聖人の御書の中にありますが、私も蓮の花が大好きです。
前にしまふくろうさまにもお話致しましたが
本当は「木蓮」にしようかなと思いました。
でも「蓮」の文字はあまりにももったいなさすぎたので、「木蘭」にした次第です。(^▽^;)
自分をとりまく人々がたくさんありますが、
すべて前世からの「縁」。
「袖すり合うも多生の縁」という言葉がございますが、
ただ道端ですれちがっただけの人。
すれ違ったあとはもうどんな人だったのか思い出せもしない人。
そのような人とも、前世からの「縁」があるのです。
ましてや親子となり夫婦となるのはどれほど「縁」が深いことでしょう。
しまふくろうさまを介してこんなふうにお話できるのも、
きっと前世からのご縁なのですね。(*^^*)
嶋中労さま
こんばんは!
コメントを読ませていただき中村久子の師である
沖六鳳の言葉を想い出しました。
『見世物小屋の芸人であっても、泥中の蓮にならなくては
いけない。泥の中においても、どろに染まらない精神を
待たねば、真の人間とはいわれない』
大正5年に見世物小屋の芸人をしていた中村久子と
観客の沖六鳳との縁の始まりからである。
労さま、木蘭さんとの縁の架け橋を掛けていただき
ありがとうございました。
木蘭さま
こんばんは!
「野壺から木蘭さんを守る会」事務局長の
しまふくろうさんから会員許可が下りた田舎者です。
今朝まで木蘭を“きらん”と読んでいた自分にこのような
木蓮の縁があったとは自分でも不思議でなりません。
縁の語源について考えたことがありますのでここに書かせて
いただきます。
わ・和、ご飯を食べて笑になり話になり、人の環や輪になり
えん・宴に繋がり縁と変わっていくのではないでしょうか。
袖すりあったものではなくネットの和、笑、話、環、輪の
縁に感謝いたします。
心に花咲く、そんな日となりました。
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