2018年5月27日日曜日

隠せないもの

みなさま

おはようございます。
昨日は娘の中学校の体育祭でした。新一年生での体育祭、そして体育委員に
なってしまった娘。希望が図書委員であった娘。その娘の奮闘です。

中間試験が一週間前に終わり、慌ただしく体育祭の準備に取り掛かっていました。
深夜二時まで掛けてクラス全員リレーの原案を作り上げた翌日。コピーを30枚ほど
頼まれたのですが我が家はインクプリンターのためすぐには対応できませんので
10枚ほど手に持ち登校したのです。

クラスの男の体育委員は協力してくれないそうで、仕方なく女の子に相談すると
「私ここじゃやだ」に始まって収集がつかなくなるような雰囲気になってしまった
そうなのです。そんなことから誰にも相談できずにそれなりに悩んでいたようです。

その全員リレーで一人飛ばしてしまってアンカーが2週回るハプニングが起きた
そうなのですが、無事に帰宅してまいりました。

そして娘曰く「春休みに一緒に映画を見に行った友達が何も協力してくれないんだもの」
そうです。友達たちの隠せないものの一面を観てしまったようです。

これからの人生こんなことは数え切れないほどに出会うかもしれませんが。
何もしない父親としてみれば、今回の様々な経験を今後に生かしてもらいたいものです。



何気ない 貴女の仕草 恋をして

4 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様
娘さん、がんばったね。

ボクはこの素敵な娘さんに一言いいたい。「人と群れるな!」って。

友達なんて要りません。孤独をかみしめたほうがいい。
生身の友達がいなくても書物の中にきっと友達がいます。

ボクは小学校から高校まで友達が一人もいませんでした。
その代わり本をめちゃくちゃ読んで、本の中で友達に恵まれました。

このことが後になったとても役に立ちます。
読書で磨いた人間的なふくらみというか幅といいますか、
そういうものが内面から光り出し、人間的魅力となるのです。

そして自然と友達が集まってきます。蜜に集まるアリのように。

書物の中の豊穣な友情に比べれば、
生身の人間との友情などちっぽけなものです。
不確かだし、中身がありません。

友達は死んだ人、すなわち本の中の先哲たちにかぎるというのはそのことです。

若い頃、ボクは友達がいなかったことを、今では自慢のタネにしています。
友達なんて要りません。友達は死んだ人にかぎります。

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。
娘にブログと労さまのコメントを読んでもらいました。
感想はこんな感じでした。

笑いながら
「田舎者、ブログやってんの、ふーん。」

「嶋中労さんってどんな人、知り合い、友達」
川高2番で慶応大学に進み料理雑誌の編集長を務めた人で今は本を書いているかな。」

「ふーん。」 

ふーんがどのような意味かは定かではありませんが、娘の成長の糧にでもしてくれれば
何もしない父親としてみれば最高の❝ふーん❞になるのですが。

ありがとうございました。

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様

「ふーん」はよかったな。

娘さんは親父のブログなんてまったく関心ないんだろうね。

それがまっとうな精神というものです。

川高2番というのは確かだけど「尻(ケツ)から2番」ということですからね。
それだけは間違いのなきようお願いしますよ。

それにしても田舎者さんの子供たちはユニークで面白いですね。
なんか将来が楽しみです。

がんばれ、Ms「ふーん」嬢!

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

こんばんは。
そう言われてみれば確かにブログを含めて父親には関心が無いでしょうね。
そんな存在ですから。でも、それでいいんじゃないでしょうか。

我が家は自分たちもそうであるように子供たちも個性豊です。その個性を生かす
人生を歩んでくれたなら、親バカとしては本望です。

労さま、頭でも尻でも川高には変わりがありませんよ。ある一面では
羨ましいかぎりです。生まれ変わっても無理でしょうね。田舎者ですから。

ありがとうございました。