2016年11月30日水曜日

ソクラテスと釈尊

みなさま

おはようございます。


ソクラテスの名言を検索していますと一つの言葉に止まりました。

その言葉は、「汝自身知」です。

それと同じくして、暁烏敏の言葉も思い出されたのです。

その言葉は、「汝自當知」です。

これはお教からの言葉なのだそうです。

そう考えると釈尊の説法だということことなので

ソクラテスも釈尊も同じ考えを持っていたと考えられ

また同時に今の我々にも通じることのできる言葉なのかもしれません。


みなさまも、自分自身を見つめなおしてみてはいかがでしょうか?



我思う  見つめた先は  エチオピア

2016年11月26日土曜日

生芋蒟蒻

みなさま

おはようございます。


数日前のことです。カミさんが蒟蒻を手作りしました。

自宅の片隅にあった芋を枯れた茎を頼りに10年ぶりくらいで掘ってみたところ

三年物の大きな芋が収穫できたのです。蒟蒻芋は一年では収穫までには至らず、

群馬県の産地では春に種イモの植え付けをし秋に掘り起こし、翌年に前年物を植え付け

掘り起こし、翌年に前年物を植え付けして秋に初めて収穫となるのです。


「蒟蒻なんてどこにでも売っているだろう」と言われる方もいらっしゃると思いますが

食べてみると似てはいるのですが別物なのです。我が家では温かな刺身蒟蒻を作るのですが

食感と風味が生芋だけでしか味わえない美味しさを楽しむことができるのです。

一般的に販売されている蒟蒻は蒟蒻芋を粉末状に乾燥させたもので作られているので、生芋

とは違う味にどうしてもなってしまうのです。


なぜ、こんなことをブログのネタにしたかというと10年前に亡くなった母親が手作り蒟蒻が

得意だったからなのです。カミさん自体も10年ぶりの挑戦で三回目で成功して、

お袋の味復活です。


そう言えばこんなことも作るたびに言ってました。

「蒟蒻は腹掃除にいいんだ」


みなさまも蒟蒻で腹の掃除をして体調を整えてみてはいかがでしょうか。


本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。




蒟蒻で 母の想い 蘇り







2016年11月23日水曜日

エミちゃん

みなさま

こんばんは!



今朝のことです。直売所でパートのエミちゃんから声を掛けられました。


「おはようございます。ブログ見ていますよ。」


うれしいような恥ずかしいような不思議な感じなのですが、内心は喜んでいる

自分がいたことに間違いはありません。



本来、日記は他人に見せたりするものではなく、今の自分を記しとして書き残しておくもの

なのですが、ブログは他人に読んでもらうことを前提として書いていますので、ことによっては

大げさに書いてみたりする場合などがあるのです。ま!その反対もありますがね。



あ!そうそう、日記は三日として続けられたことがありませんが、このブログは今日で

1,111回の投稿を迎えることが出来たのです。これも見られているということが刺激となり

自己満足感を高められたことにより続けられたのだと思っているところです。



そして、今はインターネットの普及により世界各国の情報が自宅にいて得られるということです。

それは眼には観えませんが縁の中を生きているということなのかもしれません。

また、世界中に友達を作ることが可能だということなのです。



そこで思い出したのが良寛さんの 《我生何処来》漢詩末文です。

随縁且従容    

ご縁のままに生きてゆく。そんな生き方がしてみたいものである。




おねえちゃん 出会いの縁に 感謝して

2016年11月21日月曜日

今日も

みなさま

こんばんは!


今日も酒に飲まれちゃいました。




吞んでても まだまだ呑んで 反省を

曹洞宗の檀家ですが

みなさま

こんにちは!


我が家は曹洞宗の檀家ですので、朝は仏壇にお水、お茶、ご飯を供えてお経を読むのが

日課となっています。ですがある小冊子を読んでいると聖書の「ヨハネによる福音書」の

第1章の冒頭が書かれてあり読むと言葉の大切さを強く感じさせられましたので、ここに

写させていただきます。



はじめにことばがあった ことばは神と共にあった ことばは神であった

このことばははじめに神と共にあった 

すべてのものはこれによってできた できたもののうち 一つとしてこれによらないものはなかった

このことばには命があった そしてこの命は人の光であった

光はやみの中に輝いている そしてやみはこれに勝たなかった



みなさま、美しい言葉使いができる人になりたいものですね。





美しい 言葉によって 生まれかわり

2016年11月19日土曜日

この季節を迎えると

みなさま

おはようございます。


この季節に迎えますと必ずとと言っていいほど思い返すゲーテの詩があります。

これは最近夢に出てくる貴女との思い出なのかもしれません。

それではみなさまとご一緒に読んでみましょう。



「銀杏の葉」

東洋からはるばると
わたしの庭にうつされたこのいちょうの葉は
賢い者のこころをよろこばせる
ふかい意味をもっているようです。

これはもともと一枚の葉が
二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉がたがいに相手をみつけて
ひとつになったのでしょうか?

このようなことを思っているうちに
わたしはこの葉のほんとうの意味がわかったと思いました。
あなたはわたしの歌をきくたびにお感じになりませんか、
わたしが一枚でありながら あなたと結ばれた二ひらの葉であることを


本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。




雨の日に 黄葉の下で 貴女感じ

2016年11月18日金曜日

雑木林

みなさま

こんばんは!


北から南へ、山から里へと、雑木林の紅葉、黄葉が移り変わり我が家の周りでも

心が奪われる美しさの日々なのです。


雑木林を20数年ほど前まで「ざつぼくりん」と読んでいまして、友達との会話で

その「ざつぼくりん」とはどんな漢字なんだいと問われ。

雑草の「ざつ」に「き」と「はやし」だよと説明をすると、大笑いしながら、それは

「ぞうきばやし」とよむんだよと教えてくれたのです。


それ以来この季節になると思い出す「ざつぼくりん」なのです。


みなさまは、雑木林の美しさに感動したことがおありでしょうか。





人生の 色づき始め いつしかな

ありがとうの歌


みなさま

おはようございます。


ありがとうを考えていたら自然とこの「ありがとうの歌」を口ずさんでしまいました。

昭和の匂いがプンプンするのですのがとても爽やかです。


みなさまも一度歌ってみてください。





爽やかな 風を呼び込む ありがとう

2016年11月17日木曜日

眼の痛み

みなさま

おはようございます。


昨日、眼科受診をしてまいりました。数日前のことです。車を運転していると左眼に違和感を

感じたのです。痛みを伴い全体というか裏側まで感じたのです。

診療結果は疲れ眼なのですが、今回は眼科医院を変えてみました。


実は母方祖母は眼の病気がもとで失明していて、母親の兄弟姉妹も同じようになっているから

なのです。そして自分自身も今までに帯状疱疹やらで眼には不安を抱えていたので医院を変えて

みたのです。


そんなことから、林梧堂の「生活の発見」の何も見ないために登った話を思い出したのです。

これはアメリカの婦人が中国人の友人と杭州付近の山へ登った時の話である。


「霧の深い朝であった。登るにつれて霧はだんだん深くなった。」という書き出しで始まり

「やっと頂上に着いて回願すれば、霧と靄が漠々と立ちこめるばかり、遠くの丘の輪郭が水平線上に

見えるばかりであった。」と結びに繋がってゆくのです。

『だってここでは何も見えないじゃないの?』と彼女は抗議した。

『それがいいんですよ。われわれは何も見ないためにここへ登ったんですよ』

これが中国人の友人たちの答えであった。

物事を見るのと見ないのとは、たいへんな違いである。物事を見て歩く多くの旅人たちは、本当は

何も見ていない。何も見ない多くの人たちは、多くの物をみている。


眼の痛みから様々なことを考えてみました。

みなさまは、何を見て生活をしているのですか?

心の眼を大事になさってください。


本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。




なくなって 初めてわかる 宝物

2016年11月16日水曜日

理性を保って!

みなさま


おはようございます。


昨日のことになるのですが、10数年来のお付き合いをしているうどん屋さんの

りっちゃんが朝葱を取りにやってきました。 お付き合いをしていると書きましたが

抱き付いたこともありませんし、当然それ以上のこともありません。


朝の挨拶を済ませて、いつものように一言。

「今日も綺麗だね。」

そこで止めておけばよいのに調子にのってもう一言。

「抱き付いちゃおうかな。」

そこまで来るとりつこ観音が一言。

『理性を保って!』

「助平親父だから。」

『男なんてみんなそうよ。』


すぐさま「理性を保つ」を検索してしまいました。

人生死ぬまで学び続けるものなんですね。

そしていつどこでだれに教えを受けるかは分からないものです。




バカ重ね 悟りへの道 歩むのよ

2016年11月15日火曜日

感謝の言葉から

みなさま

おはようございます。


昨日から「ありがとう。」を考え続けていると、30年以上前のことを思い出したのです。

それは、カシオペアというバンドがありまして司会屋実こと向谷実がコンサートにおいて

今でいうMC(司会)を務めていたのですが、「英語は難しい」からの話で、簡単な単語を

三回続けて言うと何となくそれなりになるだということでした。


それでは実際にやってみましょう。

OK OK OK   Thank you. Thank you. Thank you.

いかがだったでしょうか。 なんとなくなんとなくそれらしくなんだかわかりませんがなります。


そんなこんなで日本と外国の比較に至ったのです。

その一つが感謝の言葉です。日本は必要以上に感謝の言葉は使わずに仕草や背中で

表すことが多い場合があるということです。その反対が外国なんですね、夫婦がら親兄弟に

至るまでありとあらゆる人に感謝の言葉を使うのです。ここには人種的なものと宗教的なものが

複雑に絡み合った社会を円滑にするには必要不可欠なんだそうです。


そこで検索してみました。「感謝」を英語で正しく伝えるには言葉を知らなくてはなりません。

すると3通りのパターンが出て来ました。 その代表がご存知のThank you.です。

 Thank you.は直訳すると「あなたに感謝します。」そこから意訳して「ありがとう。」になるそうです。

後は簡単で Thank you ~ の後に様々な言葉を付け加えるとより実践的になるだそうです。

次は感謝を丁寧に伝える時に便利なのがappreciateなんだそうです。

I appreciate it. で感謝いたします。ですがこのappreciateは動詞なんだそうで

I really appreciate it. で とても感謝していますになり。

I deeply appreciate it. で心より感謝していますになるそうです。

後は簡単で itの代わりに様々な言葉を付け加えるとより実践的になるだそうです。

3つ目はgratefulは形容詞で「ありがたく思っている」「感謝している」という意味だそうです。

I’m grateful.で「感謝しています。」となります。形容詞なので、主語のあとにbe動詞が必要なんだ

そうです。例文としてはI’m grateful to her. で彼女に感謝していますになるそうです。


それにしても英語は難しいですね。


みなさま、本日もお付き合いいただき、ありがとうございました。






ありがとう 心が和む 魔法かな







2016年11月14日月曜日

ありがとう

みなさま

おはようございます。


昨日は母親の命日であると共に直売所の開店一周年の日でもありました。本来なら牡丹餅を作り

花をもってお墓参りをしなくてはいけないのですが、我が家も稼ぎ時です。葱と加工品の出荷でそれど

ころではありませんでした。尚且つ日中は直売所にて子供相手に綿菓子屋さんを担当したのです。


本題はその綿菓子屋での観察です。 子供を対象にしたプレゼントをしたのですが実に様々なことを

学ぶことになったのです。

その1 「ください。」という言葉を言えない子供と、それを言わせる親が実に少ないということです。

その2 「ありがとう。」この言葉も同じ様に言えません。

その3 いただいても当たり前だくらいで、ニコリともしない子供が実に多いこと。そして親はもらって

     あげるわ的な表情をして去って行きます。

その4 救いだったのは挨拶のできる子供がいたことと、挨拶の大切さを教える親御さんがいた

     ことでした。


そんなこんなで自分自身が「ありがとう。」を言える人間なのか我が子達に挨拶の大切さを教えて

いるのだろうかと、自問自答してしまいました。答えは、「なから怪しい」

そして「ありがとう。」という言葉は相手の人に言うだけではなく。自分に返ってくる言葉であると

いうことが分かったのです。


みなさま、ありがとうございました。





幸せが 舞い込む言葉 ありがとう

2016年11月10日木曜日

みなさま

こんにちは!


ここ何日か風の強い日が続いています。赤城おろしか榛名おろしかは分かりませんが

怖いように吹いていたのです。


その風で思い出したのが、種田山頭火が詠んだ一句です。




山から風が風鈴へ、生きてゐたいとおもふ




みなさまは風に生かされていることに気が付いたことがおありですか。

そして風はどこから吹き始めてどこで止むのでしょうかね。

生きていると不思議なことばかりです。




風に揺られてぶーらぶら

2016年11月6日日曜日

どうでもいい顔

みなさま

こんばんは!


私事になりますが、本日床屋さんで丸刈りにしました。(2mmカット)

そのなかで顔剃りをしていただき椅子が立ち上がり自分の顔が鏡に移りだされた瞬間のことです。

何かが抜け落ちていてとてもいい顔をしているではありませんか。

別人。どこかの坊さんよりきれいな顔。まるで悟りを開いたかのようです。


そして今なのですが、髪が伸びたのでしょうか、煩悩が顔に少しづつ表れてきたように感じ

みられるのです。不思議ですね。
 

追記

昨日、髪を切ってから直売所に出かけのですが、その時のパートのエミちゃんとの会話です。

エミちゃん 「髪の毛切ったんですか?」

帽子をとって一言。 悟りを開いたんだ。

エミちゃん 「いいですね。カッコイイ!」

自然と微笑を返してしまいました。






髪が伸び 煩悩増やし 只の人

2016年11月3日木曜日

美しい言葉遣い

みなさま

おはようございます。


最近、そんな人に成りたいなと想うようになりました。

そんなとは、美しい言葉遣いが自然にできる人なのです。

具体的な言葉は思いつきませんが、耳にして障りのない言葉とでも言いましょうか。

とにかく、周りの人を和やかにさせる言葉を吐きたいのです。


今、吐くという言葉を使いましたが、吐くとは、口から+と-の言葉を出すことから

吐くなんだそうです。そして、口から+の言葉だけを出し続けると叶となるんだそうです。

これは、数年前に学習ボランティアでお世話になった国語の先生から教わったことなのです。


そこで調べてみました。吐くの語源を、会意兼形声文字だということです。

「口」の象形と「土地の神を祭る為に柱状に固めた土」の象形なんだそうです。


吐くという文字と叶という文字の成り立ちのはさておいといて、口から+の言葉、すなわち

美しい言葉遣いが自然とできる人になりたいものである。


もしかしたら、会津八一先生が残した言葉の一つに「美しき人に成りたく候」とあるのですが

美しい言葉遣いができる人と同じことなのかもしれません。


結びにもう一つ、言葉には魂があるということです。一つ一つは小さくても遣い続けることにより

大きな大きな力を発揮するのです。ですから、美しい言葉の和を広げていきたいものですね。






美しい 男だらこそ 成りたいな