2020年2月17日月曜日

珍しい光景

みなさま

おはようございます。
本日二度目の更新です。

先ほど直売所の納品から帰る途中の出来事です。小雨が降っていましたので
反対車線の歩道を歩く青年は傘を差しながら何かを左手に持っていたのです。
すれ違う時に確認してみると、本だったのです。

二宮金次郎ではありませんが最近では珍しい光景だと感じたのです。田舎者自身
スマホを片手に歩くことはしませんが、ましてや本を片手にして歩くことなどする
ことなどないのが本当のところです。

そこで思い出した言葉が書生。そして夏目漱石の『こころ』を想い返しているのです。



こころの中に生かされて

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様

先ほど図書館から10冊ほど本を借りてきました。

資料用の本です。おじさんとかおばさんの生き方の本。

ムダに生きてますから、少しはまともな人間になろうと思って。

資料用の場合は、調子がよければ1日で10冊は軽いです。
例の速読法で、バンバン斜めに読んでいきます。
で、気の利いたフレーズがあったらノートに写します。

今の若者は本を読みませんね。
だから驚くほどモノを知らない。

おまけに無知であることを恥ずかしいとも思わない。

「無知は罪なるか」と太宰治は言いました。
若い頃読んだ本にそう書いてありました。
たぶん、その箇所に赤線が引いてあると思います。

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。
『気の利いたフレーズがあったらノートに写します。』をしていた時がありました。
そしてこのブログにおいて本から引用しているものに関してはラベル本としてあります。
ですが、そのノートは現在行方不明になっおります。

そのノートに書いてあるなかですぐに思い出される言葉は澤木興道老師の
『自己が 自己を 自己する』なのです。この言葉の真意は未だにつかめていませんが
好きなんですね。なので自己を何かに置き換えてこのブログに使うこともあるのです。

そんなこんなを踏まえて無知について思うことを書かさせていただきます。
『困苦欠乏が人を鍛える』と労さまがたびたびブログに書いておりますが、現在の日本国は
困苦欠乏し無知のままでもそれなりに生活ができてしまう世の中なのです。
生活保護という人によって良くも悪くにもなる国の政策があるのもそのひとつだろうと
感じています。
そして仏教において無知とは学ぶべきものが何一つない全てを知っているとのことと教えて
いただいた記憶がありますが、自分の身は自分で守ることできる生き延びることのできる
知識は身に着けておきたいものです。

ありがとうございました。