2020年2月5日水曜日

人間的未熟差

みなさま

おはようございます。
先ほど朝食を済ませ何気なくテレビを見ているとお母さんが赤ちゃんを抱っこする
イラストが描かれた『席譲ります』ストラップの話が出てまいりました。

そこから自分が20歳前後の出来事を思い返してしまいました。それは東武東上線の
東松山駅から乗車し池袋へと向かう坂戸駅辺りでしょうか、一目80歳近い女性が
目の前に立ったのです。寝ているふりをしてもよかったのですが、何かに引っ掻かって
しまい席を譲りました。

その老婆とは池袋駅まで一緒でした。到着間際に財布から500円近くのお金を取りだし
お礼だからと手渡してきたのです。正しくは憶えていませんが、そんなつもりで席を
譲ったわけではないので受け取れないと断ったのです。

そんなことを繰り返していると駅に到着しドアが開きホームへと降りると、その老婆が
再びお金を手渡してきたのです。つまらぬ意地をはって拒否して階段へ向かうとお金が
飛び散る音がしてきたのです。振り返って見てしまいました。眼に映ったものはお金を
拾う老婆の姿です。

すでに35年前後経っていますからその老婆もこの世の人ではないことでしょうが、田舎者の
人間的未熟差によって老婆を傷つけてしまったことが先ほどのテレビから蘇りました。
今だったら素直に受け取れるかな?

お婆さん、またいつかどこかでお会いできるといいですね。そんな時が来ましたなら気持ちを
いただき、35年前のお詫びを申しあげたいと思います。



どこにでもいる 神さま仏さまサンタクロースさま

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様
おはようございます。

昔はこの手のおばあさんがいましたよね。

でも現金を渡されるのはやっぱり困る。
お手伝いしてくれた子供にお駄賃として10円玉をくれてやる、というのなら分かりますが、
電車の席を譲っただけで500円札はちとまずい。

なぜなら人の善意をお金に換算したからです。
無償の行為というものは尊いものです。
やさしい心の持ち主だけができる行為です。
それをお金という最も卑俗なもので代償した。

この代償行為は無償の美しい行為をおとしめ、善意を傷つけるものです。

これがお金ではなく、「大阪のおばちゃん」みたいに〝飴ちゃん〟だったら、
気持ちよく受け取れます。

おばあさんの気持ちはありがたいですが、やはり金銭の受け取りはできません。
個人的な意見です。気にしないでください。

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

こんにちは。
最近、善悪の報いについて考えることがしばしばあります。そしてできる限り良くも悪くも
現生において報いを受けたいといつの間にか思うようになりました。

道元禅師の残された正法眼蔵を要約した修証義の中に『善悪の報に三時あり、一者順現報受、
二者順次生受、三者順後次受』とあり、ただ読んでいただけなのですが、そのきっかけを
作ったのかもしれません。

そんなことから、自分が今まで積み重ねてきた行いを振り替えり相手に対しての思いが
どこからとなく湧いてくるのです。

今回も『席譲ります』からのこの思いに至ったことなのです。そんなことから人は自分で
生きているのではなく、周りの人々によって生かされているだということに気が付かされた
のでした。書物を読んでそうなのかと分かるのと自らの内側から湧き出たそうなのかには
観えない大きな違いを感じます。

ありがとうございました。