2015年12月14日月曜日

南米に生きる佛の教え

みなさま

こんにちは!

今回は南米ウルグアイのムヒカ大統領のリオ会議のスピーチを写させていただきます。


 本日、この会議に集まったわたしたちは、持続可能な発展と、人々を貧困から救うことについて話合ってきました。しかし、その答えは、現在の裕福な国々の発展と消費のモデルをまねることなのでしょうか?

 一つ質問させてください。ドイツの一世帯当たりと同じ台数の車を、インドの人が持ったなら、地球はどうなるでしょうか?息をするための酸素はどれくらい残るでしょうか?富裕な西洋社会と同じ消費を、世界の七十億、八十億の人ができるほどの資源が、この地球にあるでしょうか?

 このような過酷な経済競争で成り立つ社会で、団結とか共存共栄とかについて語ることができるのでしょうか?

  わたしたちは発展するためではなく、幸せになるために生まれてきました。人生は有限であり、どんな品物にも代えられません。にもかかわらず、人々はよりたくさん消費するために働くことをやめません。消費社会はエンジンです。消費が滞れば経済がまひし、経済がまひすれば、不況というお化けが姿を現します。

 この社会では、千時間以上光る電球はあってはなりません。十万時間もつ電球を作れるのに。市場というもののために。働き続けて、〝使い捨ての社会〟を長らえさせるために。わたしたちは悪循環の中にいるのです。

 昔の聡明な人はこんなことを言っています。「貧しい人とは、持たざる人 ではなく、いくらあっても満足しない人だ」と。

 わたしの言うことが簡単には受け入れがたいのは承知しています。しかし、みなさんには、問題の原因が水危機や環境破壊にあるのではないことをわかってほしいのです。原因はわたしたちの社会のあり方であり、見直すべきはわたしたちの生き方だということを。

 わたしの国は小さいですが、天然資源に恵まれています。国民は三百万人ほどしかいませんが、世界でも最上級の千三百万頭のウシがおり、八百万から一千万頭のヒツジがいます。わたしたちの国は食べ物の輸出国で、国土の九割が肥沃な平原です。

 労働時間の権利のために闘って、六時間労働を獲得した人たちがいます。しかし、彼らも結局は別の仕事を掛け持ちして、前よりも長い時間働いています。バイクや車、その他の月賦を支払うために。
ようやく支払い終わった頃には、わたしのようなリウマチ持ちの老人になって、人生を終えるのです。人の一生とはこんなものですか?

 わたしが言っていることは、ごく基本的なことです。発展とは幸福を阻むものでなく、人類の幸福のためにあるべきものです。愛情、人間関係、子どもを育てること、友達を持つこと、そして最低限の物を持つこと。こうしたことのためにこそ、発展はあるべきなのです。

 わたしたちにとって、もっともたいせつなものは幸福です。地球環境のために闘うのであれば、人類の幸福こそが、そのカギだということを忘れてはなりません。

家の光12月号より



追記 

これって、釈尊、佛の教えすよね。そして人間の生き方の相対化でもあるのではないでしょうか。



幸せは我が内に

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