みなさん
おはようございます。
雨ですね。梅雨という言葉がピッタリな今日この頃です。そこでお天気には関係が
無いのですが、哀愁について想い考えてみました。
哀愁を検索してみると、『寂しく、何かにつけ悲しいという気持ち。』とでてきます。
人はみなどこかに寂しく、悲しい気持ちを持っているのですが、それを言葉にする人
態度で表す人、文で表す人、そして自分の中にしまい込める人に分かれるのですが。
その寂しく、悲しい気持ちを本人は言葉や態度、文で表す気持ちが無くても、周りは
それと感じてしまう。そんなことがあるのではないでしょうか。
この哀愁から法華経 寿量品の『常懐悲感 心遂醒悟』という言葉を想い出した。
そこで『仏教のキイ・ワード』 著者 紀野一義 から書きうつさせていただきます。
常懐悲感 心遂醒悟
~だれにだって悲しみというものはある。しかしひとは、悲感にとらわれると、なんとかしてそれを
忘れようとしたり、どこかに投げ出そうとする。だからその悲しみをすぐ他人に話す。話すことによっ
て悲しみをまぎらそうとするのだ。こういうものを愚痴という。「愚痴をこぼす」という、不快な印象の
ことばが、その行為のいやらしさをうまく表現している。
愚痴をこぼしたって、事態はけしてよくならない。かえって悪くなる。
悲感を自分の胸のなかにいだいていなさい。その悲感があなたの心を浄化する。あなたの心を
クリアーにする。
悲感は、冬のすみきった空気のようである。痛いほどにするどいが、そのするどさが心地よく心の
なかをほぐしてくれる。そして、心をさめさせてくれる。~
長くて短い人生、死ぬまで勉強です。そして悟りまでの道のりは まだまだ長いようです。
人 知らないところで 愚痴こぼし
おはようございます。
雨ですね。梅雨という言葉がピッタリな今日この頃です。そこでお天気には関係が
無いのですが、哀愁について想い考えてみました。
哀愁を検索してみると、『寂しく、何かにつけ悲しいという気持ち。』とでてきます。
人はみなどこかに寂しく、悲しい気持ちを持っているのですが、それを言葉にする人
態度で表す人、文で表す人、そして自分の中にしまい込める人に分かれるのですが。
その寂しく、悲しい気持ちを本人は言葉や態度、文で表す気持ちが無くても、周りは
それと感じてしまう。そんなことがあるのではないでしょうか。
この哀愁から法華経 寿量品の『常懐悲感 心遂醒悟』という言葉を想い出した。
そこで『仏教のキイ・ワード』 著者 紀野一義 から書きうつさせていただきます。
常懐悲感 心遂醒悟
~だれにだって悲しみというものはある。しかしひとは、悲感にとらわれると、なんとかしてそれを
忘れようとしたり、どこかに投げ出そうとする。だからその悲しみをすぐ他人に話す。話すことによっ
て悲しみをまぎらそうとするのだ。こういうものを愚痴という。「愚痴をこぼす」という、不快な印象の
ことばが、その行為のいやらしさをうまく表現している。
愚痴をこぼしたって、事態はけしてよくならない。かえって悪くなる。
悲感を自分の胸のなかにいだいていなさい。その悲感があなたの心を浄化する。あなたの心を
クリアーにする。
悲感は、冬のすみきった空気のようである。痛いほどにするどいが、そのするどさが心地よく心の
なかをほぐしてくれる。そして、心をさめさせてくれる。~
長くて短い人生、死ぬまで勉強です。そして悟りまでの道のりは まだまだ長いようです。
人 知らないところで 愚痴こぼし
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