2015年6月19日金曜日

哀愁

みなさん

おはようございます。


雨ですね。梅雨という言葉がピッタリな今日この頃です。そこでお天気には関係が

無いのですが、哀愁について想い考えてみました。


哀愁を検索してみると、『寂しく、何かにつけ悲しいという気持ち。』とでてきます。

人はみなどこかに寂しく、悲しい気持ちを持っているのですが、それを言葉にする人

態度で表す人、文で表す人、そして自分の中にしまい込める人に分かれるのですが。

その寂しく、悲しい気持ちを本人は言葉や態度、文で表す気持ちが無くても、周りは

それと感じてしまう。そんなことがあるのではないでしょうか。


この哀愁から法華経 寿量品の『常懐悲感 心遂醒悟』という言葉を想い出した。

そこで『仏教のキイ・ワード』 著者 紀野一義 から書きうつさせていただきます。

常懐悲感 心遂醒悟

 ~だれにだって悲しみというものはある。しかしひとは、悲感にとらわれると、なんとかしてそれを
忘れようとしたり、どこかに投げ出そうとする。だからその悲しみをすぐ他人に話す。話すことによっ
て悲しみをまぎらそうとするのだ。こういうものを愚痴という。「愚痴をこぼす」という、不快な印象の
ことばが、その行為のいやらしさをうまく表現している。
 愚痴をこぼしたって、事態はけしてよくならない。かえって悪くなる。
 悲感を自分の胸のなかにいだいていなさい。その悲感があなたの心を浄化する。あなたの心を
クリアーにする。
 悲感は、冬のすみきった空気のようである。痛いほどにするどいが、そのするどさが心地よく心の
なかをほぐしてくれる。そして、心をさめさせてくれる。~


長くて短い人生、死ぬまで勉強です。そして悟りまでの道のりは まだまだ長いようです。






人 知らないところで 愚痴こぼし

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