2022年1月27日木曜日

ヤングケアラー

 みなさま

おはようございます。みなさまもご存知の事でしょうが数日前に埼玉県白岡市で起きた事件、八人兄弟の長男の暴行死の解決はまだされていませんが、そのことによって様々なことを考えさせられます。

そのいくつかをここに書き留めたいと考えています。まずはヤングケアラーという言葉がすぐには理解できなかった自分がいたのです。成人前の子が様々な事情から親や兄弟姉妹の生活の面倒をみることを言う言葉なのです。今回の家族は親が身勝手にぽんぽんと子供を作るから長男が学校にも行かず子供たちの面倒を観るていたということです。

そこで想い返したのが生前の母の言葉です。母方の祖父の告別式の時です。大きな男の人が親しそうに母などと話をしていることから後日母に聞いてみたのです。するとこんな言葉が返ってきたのです。

『ああ要一かい、あの子は駒込の従弟で戦争の時疎開してきていてあたしが育ててやったんだ、裸足でそこいらじゅう走り回っていて大変だったんだ。』母の告別式に参列してくださった要一さん夫妻にそのことを告げると『そうなんだよ初ちゃんに育ててもらったんだよ』という言葉が返ってきたことが思い返される。その要一さんも今はこの世にいない。

また別の日には『兄さんが身体が弱くてね家を支えるために家の百姓と兄弟姉妹の面倒を見ていたから嫁に行くのが遅くなってね』 そして今でも健康でいる田舎者が生まれたときにお湯を沸かしてくれた叔母さん母親の義姉はいまでも会うたびに『初ちゃんに支えられてな』と話してくれる。

そんなことからヤングケアラーなんて言葉のなかった時代には(昭和まで)には生き抜くためには当たり前でであったことが、衣食住満ち足りて平和に溺れてしまうと観えなくなってしまったり意識的に眼を逸らしてしまっている人間がいかに多いのかを教えられた今回の事件だったのです。

そしてそんな人間の一人である田舎者でもあるのですが、日本国社会において社会が何を求めているのか、社会に何ができるのかを絶えず考えて出来ることから始めてみなくてはならないのである。


感謝 君のおかげで 今があり

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