南禅寺管長
柴山全慶老師の書かれた
『長唄越後獅子禅話』より
『・・・来るべくして来る地獄なら来るがよい。堕ちなければならない地獄なら
堕ちるがよいのだ。逃避できる地獄ならば、それはもう地獄でもなんでもない。
地獄というものは絶対に逃げられないものなのだ、逃げられないものなら
担って行くよりほかない。
そうだ、地獄の中にあって己れの能力の限りを尽くすことだ。倒れるまで、
死に至るまで、最善の力を傾けるのだ、
≪南無地獄大菩薩≫
の一軸が意味し、かつ語りかけているのではないか、・・・』
読書の秋、自分自身を静かに見詰め直す時なのかなと思う雨の日でした。
歩む道 雨の語りを 聴く心
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