こんばんは!
禁断症状からタイ風カレーを作ちゃいました。
Oさんから頂いた。Roi Thai イエローカレースープがベースです。
鳥モモ肉1枚(前日に塩適量)
青茄子1/2 ジャガイモ1 玉ねぎ1/2 にんじん1/2 青唐辛子3
鍋に太白ごま油をひき、鶏肉を炒め焼き色が付いたら野菜を加え全体が
しんなりしたところに、カレースープを入れ煮詰める。
仕上げに、ナンプラー適量、青唐辛子3
前回までは一度に四人分を食べてしまいましたが、今回もスプーンが止まりません。
うまい 旨い 美味い
自分で言うのも可笑しいですが。
辛さの奥に旨味が広がり個々の野菜の味がするのです。
この野菜は誰が育てたのだろうか?
苦しくても この美味しさは 止まりません
会津八一 “八一”という名前は1881年8月1日に生まれたから、 小学校卒業の時、将来の夢と聞かれて、同級生はほとんど総理大臣や陸軍大将になりたいと書いた。しかし、八一はたった一人、ただの農民として一生を暮らしたいと書いた。 そんな八一に憧れる百姓です。
2010年10月29日金曜日
愛と認識との出発 結び
こんにちは!
『愛と認識との出発3』のつづきです。
わたしは、このことばは実に立派だし、美しい、本当だと思う。よくお姑さんと
お嫁さんの喧嘩が話題にのぼる。その原因はいろいろあると思うが、その一つに、
両方とも相手から愛されたいという気持をなくしてしまっているということが
あると思う。・・・
やはり人間というものは、愛されたいと思っている人の方へ動いて行くものである。
だから、こちらが『愛してもらいたいな』と思わなければならぬ。そんな風に
思うと、こっちの格が一段下がるように思っている人があるが、そんなことはない。
愛されたいと思うのは人間の理想なのである。
まだ間に合う 人間の理想 この心
『愛と認識との出発3』のつづきです。
わたしは、このことばは実に立派だし、美しい、本当だと思う。よくお姑さんと
お嫁さんの喧嘩が話題にのぼる。その原因はいろいろあると思うが、その一つに、
両方とも相手から愛されたいという気持をなくしてしまっているということが
あると思う。・・・
やはり人間というものは、愛されたいと思っている人の方へ動いて行くものである。
だから、こちらが『愛してもらいたいな』と思わなければならぬ。そんな風に
思うと、こっちの格が一段下がるように思っている人があるが、そんなことはない。
愛されたいと思うのは人間の理想なのである。
まだ間に合う 人間の理想 この心
愛と認識との出発3
おはようがざいます!
『愛と認識との出発2』のつづきです。
そのことについて倉田百三は、実に美しい、いいことばを残している。
自分が愛されたいと思っているその人から愛されなかったら、歎けば
よいではないか。愛されたいという気持ちをいつまでも捨てないで歎いて
おればよいではないか。愛されたいというのは人間の理想だ。理想を
捨ててまで人間がいきるということは、おかしなことだ。人間は理想を
なくしたら生きているとはいえない。だから、愛されたいという理想は
いつまでもなくさず、相手がこちらを愛してくれなかったら歎けばよい
ではないか。倉田百三はそう言うのである。
作物と 会話できずに 歎いてる
『愛と認識との出発2』のつづきです。
そのことについて倉田百三は、実に美しい、いいことばを残している。
自分が愛されたいと思っているその人から愛されなかったら、歎けば
よいではないか。愛されたいという気持ちをいつまでも捨てないで歎いて
おればよいではないか。愛されたいというのは人間の理想だ。理想を
捨ててまで人間がいきるということは、おかしなことだ。人間は理想を
なくしたら生きているとはいえない。だから、愛されたいという理想は
いつまでもなくさず、相手がこちらを愛してくれなかったら歎けばよい
ではないか。倉田百三はそう言うのである。
作物と 会話できずに 歎いてる
2010年10月28日木曜日
愛と認識との出発2
こんばんは!
『愛と認識との出発』のつづきです。
この『愛されたい』ということが大切である。愛されるためには自分を
無にしなければならぬ。自分の方に何か構えたものを沢山持っていて、
それで愛してほしいいというのは無理である。自分をからっぽにして、
裸にして飛びこんでいかねばならない。
この頃の人間はそうしなくなった。『愛する』ということはしても、
『愛されたい』ということはしなくなった。なぜかというと、愛されたいと
思うその人から愛されなかったら馬鹿を見るから、愛されたいというような
気持は持たぬというのである。
美味しいは 心と心 通じ合い
『愛と認識との出発』のつづきです。
この『愛されたい』ということが大切である。愛されるためには自分を
無にしなければならぬ。自分の方に何か構えたものを沢山持っていて、
それで愛してほしいいというのは無理である。自分をからっぽにして、
裸にして飛びこんでいかねばならない。
この頃の人間はそうしなくなった。『愛する』ということはしても、
『愛されたい』ということはしなくなった。なぜかというと、愛されたいと
思うその人から愛されなかったら馬鹿を見るから、愛されたいというような
気持は持たぬというのである。
美味しいは 心と心 通じ合い
愛と認識との出発
おはようございます!
読書の秋
『いのちの風光』紀野一義著
を読んでいたところ、次のことが書かれている。
わたしは学生と一緒によく倉田百三の『愛と認識との出発』を読むが、
あの中に次のような意味のことが書いてある。
わたしたちは人を愛するということをしなければならないけれども、
同時に人から愛されたいという世界も持っていなければならない。
人間と人間が結びつくのは、愛したいという気持と
愛されたいという気持とが一つになってはじめてできるのである。
だから、愛されたいという気持をなくしてはならない。
読み返してよかった。
おいしいな こころ豊かに 秋の夜
読書の秋
『いのちの風光』紀野一義著
を読んでいたところ、次のことが書かれている。
わたしは学生と一緒によく倉田百三の『愛と認識との出発』を読むが、
あの中に次のような意味のことが書いてある。
わたしたちは人を愛するということをしなければならないけれども、
同時に人から愛されたいという世界も持っていなければならない。
人間と人間が結びつくのは、愛したいという気持と
愛されたいという気持とが一つになってはじめてできるのである。
だから、愛されたいという気持をなくしてはならない。
読み返してよかった。
おいしいな こころ豊かに 秋の夜
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