みなさま
おはようございます。しばらく前に成りますが❝トイレの神様❞という曲がヒットしたことを覚えていますでしょうか。田舎者は早朝から大便を5回程度、小便は日に10回程度でトイレを使うのですが、そこで思い返したのがトイレの神様だったのです。
そしてしばらくすると道元禅師が書かれた正法眼蔵洗浄の巻に書かれた一節を思い返したのです。それは『両辺をけがすことなかれ、前後にそましむることなかれ。このあひだ黙然な るべし』です。
そんなこんなでトイレを使うたびにこのことを考えていると道元禅とトイレの神様は同じことを別な角度から表現しているのではないかとの結論に至ったのです。山登りでもしない限り野グソをしませんからトイレをきれいに使う気持ちを持ちたいものです。
冬の朝 心を磨く トイレ掃除
2 件のコメント:
田舎者様
大小の便の数、ちょっと多すぎるんじゃない?
これじゃあ、日がな一日トイレで暮らしていることになる。
これだけ“雪隠詰め”が続けば、どんなアホでも何か悟るところがあるでしょ。
悟りを開いたら、あたしにも教えてね。
嶋中労さま
おはようございます。
今日も大便3回ほどしています。出した分だけ腸内の便が下がり催すようです。
さて本題の悟りについてですが、人はみな悟りを開いて生まれてくるのではないでしょうか。
ありのままで生き、迎えの時が来たならば、ありのままで死を迎えるだけなのです。
そんなことで田舎者は56年前に悟りをどこかに置いてきてしまい煩悩と共に生きているところなのです。
朝から難しい事を考えることもまた楽しいものですね。
ありがとうございました。
コメントを投稿