2020年9月2日水曜日

相対的貧困

みなさま

こんにちは。
数日前の事である。子供の貧困についての記事をなんとなく読んでみると、父親が病気を患い離職したことをきっかけに給食費の3,000円が払えずに先生に嘘をついたり不登校になったことが書かれており、その後は高校から専門学校へ進学するための積立金を父親が昼から酒を飲むようになり使い果たしてしまったそうです。

その娘はその後悩んだそうです。お金がない事に対してどうしたらよいのかということです。AV、風俗のことも考えたそうですが相談相手からのアドバイスもあり大学浪人の道を進み翌年ICUに合格したとのことです。

今ではパートナーに出会い子供にも恵まれたそうですが、それらのことは片時も忘れることのできないことのようです。

そんなこんなで現在の日本における相対的貧困を考え始めると同時に両親ををはじめご先祖さまにただただ感謝しなくてはならない自分がいることに気が付かされたのです。

農業という第一次産業、冠婚葬祭以外は休みがない状態の生活ですが、ご先祖さまが残された田畑のおかげで健康で働き続けることが出来るのであれば食には困ることが基本的にない今、何をしなくてはいけないのか考えてみたいと思います。

えーと、そんなこんなでまたしばらくお酒を止めてみます。




エアコン無く 貧乏という 娘の友



2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様
ボクの実家は一時期、ド貧乏でした。ボクが小学生の頃です。
借金取りが毎週のように来て、玄関に居座りました。

お相手をしたのは姉やボクです。
正座して、「父も母もいません」という役割でした。
もちろん両親は奥に隠れています。

父は製材所を経営していて、従業員も30人くらいいました。
でも、どういう事情なのか倒産し、借財を抱えこみました。

それからはずっと貧乏暮らし。
母は家計の助けにと市内の魚屋に事務員として働きに出ました。

長兄も新聞配達などをして家計を助けました。
あんなに広い敷地を持ち、「坊ちゃん」などと言われて育ったのに、
ある日突然、貧乏のどん底へ。

人生は分かりませんね。一寸先は闇です。
でもボクは、貧乏を知っていて幸せだと思っています。

ずっと裕福だったら、モノのありがたみが分かりません。
テレビなんか持てなかった時代、近所の家の塀の隙間から弟と一緒にテレビを観させてもらった時代。

そんなわびしい時代があったからこそ、今の幸せをしみじみ感じることができるのだと思います。

自分は前期高齢者ですが、後期高齢者たちの中に混じると、
〝若さ〟を感じます。年齢は相対的なもので、田舎者さんがいうように貧乏も相対的なものなんです。

つまり、心の持ちようで、年をとったり貧乏になったりする、ということです。

田舎者さんは偉いですね。いつも人生に対して真正面から対峙している。
そして感じたことを正直に語っている。

ボクは田舎者さんのその正直さが好きです。
けっして気取ったりかっこつけたりしない。等身大の自分を惜しげもなくさらけ出している。

なかなかできないことです。

パティシエールの奥様にもよろしくお伝えください。



















田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。
生きることに必死だった時代から衣食住全てが有り余る時代へと変化した今、
人が余計なことを考えるような時間が生まれてきたのだと思っています。

そこで余計なことがお金を生む産業へと生まれてきているのです。相対的に
ではなく絶対的な世の中が良いと推奨しているわけではありませんが。
貧乏が当たり前だったころ靴に穴が開いても衣服が破れていても笑う人が
いません。まして繕ってあればなおさらです。今では考えられない事ばかり
なのです。えーと、このこともまとめることが出来そうにありませんので
この辺で結ばせていただきます。

少し話がそれますが、すでに労さま夫妻に丸裸にされている田舎者。文章や会話から
その人柄が隠しても隠し切れないこともわかるように最近なりつつありますが。、
自分のことがよくわからないのが現状です。このブログを書くも一つのテーマに
沿って必死に?書き綴っているだけなのですから。そのテーマとは
『噓も方便と簡単に言ってはならない。誠があっての嘘の方便でなくてはならない』
この言葉を忘れないようにしていることだけの生き方だけなのです。

ありがとうございました。