2019年10月29日火曜日

悲しくてやりきれない

みなさま

おはようございます。
数日前のことです。ワインを口にしながらテレビの電源を入れると〝秋の夜長に聴く名曲”
なるものが数曲流れ始めたのです。その中の一曲にその時から頭の中を占領されているのです。
初めて聴いた曲でもないのですが突如として襲い掛かってこられのっとられてしまったのです。
それではここにその詞を写させていただきます。


悲しくてやりきれない          
                   作詞 サトウハチロウ
                   作曲 加藤和彦
                   唄  ザ・フォーク・クルセダーズ

胸にしみる 空のかがやき
今日も遠くながめ 涙をながす
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このやるせない モヤモヤを
だれかに告げようか

白い雲は 流れ流れて
今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
この限りない むなしさの
救いはないだろうか

深い森の みどりにだかれ
今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて 悲しくて
とてもやりきれない
このもえたぎる 苦しさは
明日も続くのか

この詞を繰り返し口ずさんでいると、法華経の教えの一つを思い返しました。
それは 常懐悲感 心遂醒悟

常に悲しみを懐いて、心遂に醒悟す。
悲しみを愚痴にしてこぼしたり、憎しみに変えたりせず、悲しみを大切にする人は、
なかなか抜け出すことのできない病の中から、ついに抜け出すことができる。



秋の夜長 いつものように 呑んだくれ
 

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様
先日は遠路はるばるお運びいただき、ありがとうござんした。

さて「常懐悲感」という言葉は、心に沁みますね。
ボクもこの言葉をいつも心の片隅に置いています。

周囲を見回しても、人は例外なく悲しみを湛えながら生きています。
親の死、子の死、友人の死……

いつか訪れる悲しみですが、いつまでも悲しんでばかりはいられません。
この度の風水害でも多くの人が亡くなりました。

寿命が尽きる死もあれば、突発的に襲ってくる死もある。

人生は悲しみひとつと思いきわめる――悲しみを湛えていない顔はダメですね。
ボクはそう思います。

笑顔であっても、どこか言い知れぬ悲しみをふと感じさせる顔。
飲んだくれていても、ボクはそんな顔をめざしています。

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。
今日も雨、この雨はどのような意味があるのかと考えさせられている今です。

先日はお招きいただき、ありがとうございました。呑んで話してバカ笑いの自分を
なんの抵抗もなく出してしまった田舎者です。その後カミさんが予想以上に喜んで
いたのがとてもうれしく夕食時に赤ワインを二人で空けてみました。

そして本題の『常懐悲感 心遂醒悟』なのですが、そうだそうだそうなんだとしか
言いようがありません。それは先日話したバカな日々を送った自分を温かく見守って
くれた家族、知人をはじめとする周りの人たちのおかげで今の自分があるからです。
ありがたいことで感謝しても感謝しきれない思いがあります。

ありがとうございました。