2018年11月22日木曜日

親バカの靴磨き

みなさま

おはようございます。
今年の春から息子が高校に通うようになり、朝の日課として仏壇に手を合わせることを
していたのですが、それに加えて息子の靴磨きを始めてみました。

学生時代に親が靴を磨いてくれた記憶はないのです。働いて収入を得て子供を学校へ通わ
せることと家を維持していくことだけで精一杯だったように振り返りますと感じます。

それでは何故靴磨きを始めたかというと、会議に出席するのに自分の靴を磨いていた時の
ことです。「足元を見る」と言う言葉を思い出したのです。人は自然と足元を見る動物で
あるのではないか、息子が見られているとは家が自分が見られているのだと考えたのと
毎日無事に帰って来て欲しいという願いがあったからなのです。

それを見ている家族の者の反応は、当の息子は無反応、娘はまたかと笑い、カミさんは
「三年間続くといいね」。それで息子が高校を卒業すると入れ替わりで娘が入学します。
六年間続けますと60歳どんな未来が待ち受けているのでしょうか。それとも単なる
親バカの靴磨きで終わるのでしょうか。



足元が 大地に立ちて 今生きて

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様
ボクは革靴をめったに履かないので、靴を磨くことはめったにありません。

たまに磨くようなことがあると、カミさんの靴も一緒に磨いてやります。

娘がいた頃は、娘の靴も磨いてやりました。ついでですから。


カミさんが自分の靴を磨く時は自分の靴しか磨きません。

亭主の靴をついでに磨いてやろうという発想がまずないのです。

この違いはいったい何なんでしょう。

単なる力関係で済ませられる問題ではないと思うのですが……

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

こんにちは。
確かにその通りだと思います。ですが、余計な事を言うと
災いが天から降り落ちてまいります。

男には男の生き方があり女には女の生き方があると自分に
言い聞かせていますし、現実は男より女の方が強いんですから。

ただし、男女に関係なく自分の靴だけではなく家族の人の靴を
磨ける人は、人間的な奥行きがあるのではないでしょうか。

ありがとうございました。