2018年11月30日金曜日

自制心

みなさま

おはようございます。
数日前ふとしたことから「自制心」を調べることになりました。
意味的には、「我慢する力とか、感情をコントロールする力」となります。

それではもっと具体的に自制心の強い人の例をあげてみたいと思います。

・トラブルにも冷静に対処する。     自己採点35 それなりに
・時間を守る。                 75 これだけは
・浪費を好まない。               10 買い物大好き
・試験などの成績が良い。            10 読めない書けない話せない
・体型を維持できている。            35 お腹ブヨブヨ
・お酒の失敗がない。              00 失敗多数
・体調管理ができている。            35 それなりに
・仕事で手を抜かない。             35 それなりに
・態度が安定している。             35 嫌いは嫌い
・目標が明確でぶれない。            35 転職しています

そんな田舎者ですが、それなりに生きています。



人の数だけ生き方あり



2018年11月27日火曜日

道元禅師五十四歳

みなさま

こんにちは。
今日は道元禅師のことを書かせていただきます。

建長五年八月五日、道元は病気療養のため京都に向かい、高辻西同院の俗弟子覚念の館に
入った。そして八月二十八日の夜半、五十四歳で世をさったのである。

永平寺十四世建撕和尚の著わした『建撕記』の記述によると、入寂前のある日、道元は
法華経神力品の一節を低声に誦しながら室内を経行し、やがて筆をとって面前の柱に書き
その終わりに妙法蓮華経庵と書きとめたという。その一節とは次のごとくである。

「若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舍。若在殿堂。若山谷曠野。
是中皆応起塔供養。所以者何。当知是処即是道場。諸仏於此得阿耨多羅三藐三菩提。
諸仏於此転於法輪。諸仏於此而般涅槃。」

「もしは園の中においても、もしは林の中においても、もしは樹の下においても、もしは
僧房においても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷曠野におい
ても、この中に皆塔を起てて供養すべし。所以はいかん、まさに知るべし、この処はすな
わちこれ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩提(無上のさとり)を得、諸仏こ
こにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃(完全円満な大いなる死)したもう」
 「禅 現代に生きるもの」 紀野一義より

昨晩、夕食後に仏壇に手を合わせこの神力品の一節を唱えてみました。そしてこれからは
夜の日課とすることと決めてみました。間もなく五十四歳になる田舎者の誓いです。



五十四 今まで何して 生きてきた 

2018年11月23日金曜日

いかりや長介てき💋

みなさま

おはようございます。
朝眼を覚ますと唇に違和感を感じます。抜歯するときにした麻酔のような感じです。
トイレを済まし鏡で確認すると「いかりや長介てき💋」であるではありませんか。

早速検索、アレルギー反応であるようなことが表れてきました。

そんなことから考えてみたのですが、これは「口は災いのもとだよ」との啓示なの
だと感じたのです。

みなさまもお気をつけて。


口滑り 失くした貴女 今どこに

2018年11月22日木曜日

親バカの靴磨き

みなさま

おはようございます。
今年の春から息子が高校に通うようになり、朝の日課として仏壇に手を合わせることを
していたのですが、それに加えて息子の靴磨きを始めてみました。

学生時代に親が靴を磨いてくれた記憶はないのです。働いて収入を得て子供を学校へ通わ
せることと家を維持していくことだけで精一杯だったように振り返りますと感じます。

それでは何故靴磨きを始めたかというと、会議に出席するのに自分の靴を磨いていた時の
ことです。「足元を見る」と言う言葉を思い出したのです。人は自然と足元を見る動物で
あるのではないか、息子が見られているとは家が自分が見られているのだと考えたのと
毎日無事に帰って来て欲しいという願いがあったからなのです。

それを見ている家族の者の反応は、当の息子は無反応、娘はまたかと笑い、カミさんは
「三年間続くといいね」。それで息子が高校を卒業すると入れ替わりで娘が入学します。
六年間続けますと60歳どんな未来が待ち受けているのでしょうか。それとも単なる
親バカの靴磨きで終わるのでしょうか。



足元が 大地に立ちて 今生きて

2018年11月18日日曜日

捨てる

みなさま

おはようございます。
今日のタイトルは❝捨てる❞です。捨てると言っても命とか人生などのおっかない話では
なく、ただ単に不要になった物を捨てると言う話です。

今回捨てた物は靴です。革靴一足、ゴルフシューズ一足、建さん一足(職人が室内履き
にしている小学生の上履きのようなもの)、そして地下足袋。

なかには履けるものもあったのですが一年以上履いていなかったものだったので思い
切って捨ててみました。もったないとと言われれば確かにその通りです。ですが呼吸に
例えてみると、吐かないと吸えないのだそうです。みなさまの中には吸ってからでも
吐けるよと主張する方もいられると思いますが(田舎者もその一人でした)、それでは
呼吸ではないんだそうです。

禅や剣術の基本となっているものが呼吸で長く吐いて肺とお腹の空気を空っぽにすると
自然というか意識しなくても吸うことができるということなのです。

捨てるとは何かを手に入れる大切な準備なのです。そして運気は大地のエネルギーから
頂いているそうです。そんなこんなで靴を捨てるに至った訳なのです。

お洒落は足元からと言うじゃないですか、靴を磨いて自分磨き。



靴の裏 泥を運ぶ 田舎者

2018年11月16日金曜日

朝日刈りから朝日喰い

みなさま

おはようございます。
タイトルを見て、なに、なに、なに。と思った方もいるかもしれませんが。
新聞社とは何一つ関係がございません。

朝日という名はお米の品種でして現存してなおかつ一般的に主食として流通している
最古の日本のお米です。みなさんがご存知のコシヒカリをはじめとする特A米は全てと
いっていいほど祖先をたどりますと必ず。東の亀ノ尾と西の朝日にたどり着きます。

数年前から水稲を育て米を収穫する一人として次の世代に種子をつなぎたいと考え
栽培を始めたのです。この朝日米は現在岡山県が主力の生産地でありまして、埼玉県に
おいて種籾を一般的に購入することはほぼ不可能です。そこで日本を代表する岡山県の
農家からネットにて玄米を購入し玄米発芽をさせ種籾を確保し、今年は3反に植え付けを
することができました。そして晴れて朝日刈りから朝日喰いに至ったわけなのです。

この朝日にも欠点があります。機械化が進む前までは西日本の主力品種であった
訳なのですが、首が脆いのです。刈り取り適期になりますと少し何かに触れただけで
穂から籾がこぼれ落ちてしまうのです。

実際にコンバインで刈り取りをしてみますと悲しくなるほどに籾が飛んでゆくのが
分かります。本などからは一割は収量が落ちるかかれているのです。ですが欠点は
欠点として認め来年度も作付けをすると決めています。

そして肝心の味なのですが、最近味覚も唄に続き音痴になったらしくて何を食べても
それ程感動をしなくなってしまったのです。ま!贅沢というか働きが足らないのかも
しれませんね。

次の世代にいのちの種を。

*参考として岡山県の農家赤木さんからは玄米播種の許可をいただいております。



欠点が 利点と化す 心意気

2018年11月13日火曜日

十三回忌

みなさま

おはようございます。
今日で母親の十三回忌を迎えます。   

高村光太郎の「母をおもふ」の末文が身体全体に響きわたります。

母を思ひ出すとおれは愚にかへり、
人生の底がぬけて
怖いものがなくなる。
どんな事があらうともみんな
死んだ母が知つてるやうな気がする。



この歳で 母想うと 涙する