2022年1月12日水曜日

60を前にしての生き方

 みなさま

おはようございます。最近は酒のお供に本を開いているというようなことを数回前に書いたのですが、そこでこんな生き方をしてみたいと教えられた一節がありますのでここに移させていただきます。

『人間は、自分を押し出しすぎないということが大切である。自分で自分を押し出すのではなく、自然にまわりから押し出されるというのでなくてはならぬ。そこで大切なのが、自己を忘れるということである。』

その自己を忘れるということはこう言うことだとも書いてあるのです。

『自分の我執をなくし、人に愛されたいという願いを持ち、人を愛したいと願い、自分の中に他人を入れても何とも思わず、自分のいいところも悪いところもみんな人に見せて、こだわりなく、大らかに、自分のためにすることがみんな他人のためになるような、そんな生き方をしていると、世間が放っておかず、悟りとか救いとかいうようなことを離れて、しかも自分も他人も幸せになり、どんどん生活の幅が広くなって行くというのである。』

正直に言って田舎者がこのような生き方が出来ているかというと出来ていないのである。ですが、いつも心に持ち歩いているといつでも読み返し学びいつの間にか身についてしまうのではないかといいように考えてみたのです。

そしてこれをところてんのような生き方だと思うのであった。



ところてん 押し出されて 一人前

2022年1月10日月曜日

振り袖姿

 みなさま

おはようございます。昨日はカミさんを誘って東松山市の箭弓神社に初詣に出かけてみました。すると、成人式で初めて振袖を着たであろうと思われるお姉ちゃんがあちらこちらにいるではありませんか、歩く姿を拝見すると、まるでロボットのようであったりする娘もいるのですが、振袖の華やかさはどの娘もお似合いでとても綺麗であったのです。

そこで二つのことが思い出されたのです。その一つがスキーをしていた20代のころどの娘もスキーウェア姿が綺麗に見えていたのが不思議であったのと同じように今回の振り袖姿の娘たちも時節柄マスクを着用していますので眼がキラキラ輝いていてどの娘も素敵だったのです。

そしてもう一方は南禅寺管長であられた柴山全慶老師の書かれた長唄越後獅子禅話の一文に『見渡せば見渡せば、西も東も花の顔何れ賑はふ人の山、人の山』とあったのを思い出すのです。この正確の意味は定かではないが、どこもかしこも文殊様の顔ととらえることができるそうです。そう考えて見ますとこの娘たちはみな神さまだったのかもしれなのでした。

そんなことから寒を忘れるくらいの穏やかで温かな昨日は神さまからのお年玉だったのかもしれませんね。

そして女性が人生で輝く日が幾つかあるとするならば、その一つが振袖姿の成人式のこの日ではないでしょうか。そして結婚式の日と初出産の日がそれぞれあたるのではないかと思います。


振り袖姿 観える親は 幸せ者

2022年1月9日日曜日

足のうら洗えば白くなる

みなさま

おはようございます。

尾崎放哉の句に 足のうら洗えば白くなる

という作がありますが、昨日久しぶりに軽石でゴシゴシと足のうらを洗ってみますと白くなるのではなく血が流れて全体が赤っぽいピンク色になったのです。そして心臓の音が足のうらから感じられるのです。

古い皮膚である垢が軽石でこすることで剥がれ落ち、流れの悪かった血流が良くなったのだと想像してみました。

尾崎放哉がどのような気持ちでこの句を詠まれたのかはわかりませんが、足のうらがきれいになると気持ちが良いもんです。と同時に頭でもがスッキリするから不思議なものです。

悪いことをやめる時に足をあらうと表現されますが心身をリフレッシュするためにも時にはいつも以上に足の垢を落としてあげる必要があるのではないでしょうか。

みなさま方も足のうらを洗ってみてはいかがですか。



人生 汚れて洗って 繰り返し

2022年1月7日金曜日

血は赤かった

 みなさま

おはようございます。昨日は久しぶりに白菜の収穫をしたのですが、ちょっとした不注意から収穫包丁で左人差し指をチョット深めに切ってしまいました。噴き出すまではいきませんが活きよいよく流れ出てきましたので手ぬぐいを取り出し指にグルグル巻きにして流れ出すのを止めてみたのです。

そのことをカミさんに報告すると一言『なにバカなことやってんの』そしてカミさんが化膿止めと大きなカットバンを探し出してくれて治療を行ったのです。

そんなことから子供のころ親と共に畑へ行って指を切ったり足をすりむいたりした時に母がかぶっている手ぬぐいを引き裂いて指に巻いてくれたことがよみがえります。当時は抗生物質があるわけでもなく赤チンを塗っておくぐらいでしたので化膿してしまったことも何回となく繰り返してみたことも懐かしく感じられます。

そして当たり前のことなのですが血は赤かったのです。


指を切り 心臓の音が ジンジンと

2022年1月6日木曜日

酒のお供

 みなさま

おはようございます。田舎者は最近温かいお酒を呑むようにしています。そんなことから自然とお銚子で燗をつけるのです。するとどうしてもおちょこでちびちびと口に運ぶことになるのですが、最近はその酒のお供に本を開いています。

その本は20年以上前に購入し何回となく読み返しているのですが、久しぶりに開いてみると以前と同じように涙するところもあれば新しい発見というかやっとこ理解できるようになった箇所など様々なことが酒を口にしながらも起こるのです。

そんなことから年を重ねることの大切さを教えられたのです。酒っていいな!本っていいな!自分もいいな!


呑んで呑まれて 大地に還元

2022年1月5日水曜日

餅食える幸せ

 みなさま

おはようございます。田舎者の朝食は伸餅小3ケとのり餅2枚、それに具沢山な野菜の味噌汁、大根と牛すじの煮物、目玉焼きとブロッコリーです。そこで想い返されたのが祖父初郎さんと餅の幼少期の正月のある日です。

田舎者がまだ小学生でしたでしょうか、一週間目の雑煮に飽きてカレーやラーメンが食べたいと母親に駄々をこねると祖父がこんなことを言ったのです。『俺は餅が好きだから餅でいいからさ』そんなやり取りの後弁当の関係からご飯食に変わったのですが、祖父は母親の手間をを考えてか一緒にご飯を食べてくれてたのです。ですが、今度は夕ご飯が雑煮へと変わったのです。

そんの事を思い返し祖父の年齢に近づいた自分は考えてみますと、百姓自らが育て収穫した糯米で年末に餅を搗きそれを正月に神さまにお供えし自らも食することができる人は幸せなんだということです。

そんなことからただただ単純で平凡な日々の中に本当の幸せが隠れていることを教えられた今年の正月5日なのです。


気が付けば うまいんだなあ 俺の餅

2022年1月4日火曜日

我が家の決まり事

 みなさま

おはようございます。いや、新年あけましておめでとうございます。正月も4日目を迎えまして今年初めての投稿となり、そこで我が家の決まり事を書いてみたいと思います。

我が家は家長が正月三が日は神さまに朝は雑煮と夜はご飯をあげることとなっています。その神さまとは床の間に靖国神社、金毘羅山が飾られいるほか神棚、恵比寿さま布袋さま、お勝手に竈の神さま、氏神さま、井戸神さまがありまして正月飾りと共に朝夕の給仕をするのです。

その他にも正月三が日は掃除、掃きだしてはいけないという決まり事もあります。こんな我が家ではありますが、祖父から父、父から田舎者へと受け継がれていく間に少しずつ変化をしているように感じられるのが本当のところです。そして息子へと代が変わるとどのようになっている事やら。

そんなこんなで朝から熱燗を吞み続けた田舎者だったのでした。

みなさま方はどのような新年をお迎えでしょうか。


朝酒も 許されるのは 三っ日まで