2018年6月7日木曜日

煙たい存在

みなさま

おはようございます。
昨日夕方からの総代会の資料説明会に出席する前のカミさんとの会話です。

夕ご飯いらないから。
 「助かる。今度英検と漢検に合格したらお父さんがいない時に外食するんだ。」

どこに、ピザ屋。
「花が回転寿司がいいんだって。」

回転寿司かあ、それなら留守番しているから三人で行ってくれば。
「それいいかも、初紀はおとうさん煙たい存在だから。」

確かに煙たい存在かもしれません。
家族で車に乗っていると「うるさい静かにしろ、運転に気が散る」
電車に乗っていると「静かにしろ、周りに迷惑がかかる」
外食していると「詰まらそうに食べるな楽しそうに食べれ」
ほんの一例です。

数年前には「お父さんと一緒に行くと詰まらなくなるから」と三人でディズニーランドへ
行ったのです。でも迎えには車でいきましたがね。

そして自分もそうであった煙たい存在の父親、亡くしてみるとそのありがたさが
分かり始めた今日この頃です。

そしてカミさんには「時代遅れの父親」と言われています。

みなさまはどのような父親であり母親であり子供達でありますか。



時流れ 芽噴出した いのちあり

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様
わかる、わかる。

そんなものでしょ、おやじなんてものは。
煙たがれず、子にべたべたされるような父親はタマなしです。

おやじというのは畏怖される存在であるべきで、
友達みたいな父子なんて気持ち悪いだけです。

おやじという存在は一家における倫理道徳の規範です。
人間いかにあるべきか、正邪曲直とは何か、
その指針を示すのがおやじの役割です。

母親は日常的な細々とした形而下的なことを教え、
父親はもっとスケールの大きい形而上的なことを教える。

役割分担がちがうのです。

人類創生以来、おやじはずっとずっと煙たがられてきました。
子に媚びない、妥協しない、猫なで声を出さない。
正しいと思ったことをズバリという。

子が成長すれば、おやじの偉大さが自然とわかります。
分からない子は出来の悪い子と思ってまず間違いないでしょう。

がんばれ、煙たいおやじ! ゴホッ、ゴホッ……

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

こんばんは。
そうですか。父親とはそういうもんなんですね。ということは観方を変えると
煙たい存在の親父は幸せということになりますね。実感がわいてこないのはまだ、
『人間いかにあるべきか、正邪曲直とは何か、その指針を示すのがおやじの役割です。』を
身に着けていないからなのですね。

そんなこんなで思い出したのが学生時代の友達から、30年以上前でしょうか、
「いちいちうるせぇんだよ、まるで小姑みてえだな」と言われたことが度々あったのです。

そうそう他人に言われることは嫌いで、言うことが好きな人間だと自分でも感じています。
煙たいおやじになれるよう日々を過ごしてまいります。

ありがとうございました。