2015年12月7日月曜日

眼を病んで

みなさま

おはようございます。


眼を病んで頭から離れなくなった一句があります。

それは

君看双眼色(きみみよそうがんのいろ)

不語似無憂(かたらざればうれいなきににたり)



芥川龍之介、良寛さんが愛した句で白隠禅師の句ともいわれています。

この三人気持ちは想像することしか出来ませんが、今の自分自身は

自分で納得がいくまで想い考えることが出来るのです。


どのような答えが出るのやら楽しみがまた一つ増えました。




眼を病んで 見えないものが 観えてくる



 

2015年12月6日日曜日

新しい靴下は温かい

みなさま

こんにちは!


先程、買い物から帰ってきました。カミさんに作業服としてライトダウンジャケットと

ベストを購入したのですが、そのついでに三足980円の靴下を六足買い求めました。


帰宅するなり履き替えてみると、新しい靴下は温かいです。たったこれだけのことですが

小さな幸せを感じてしまうとは、なんとも安上がりなものですね。


みなさまもありますよね。そんなこと。






幸せは身近にあって気が付かない


2015年12月4日金曜日

目が明かない

みなさま

こんにちは!


日頃の行いでしょうか。目が明かなくなりました。

朝、洗面所で自分の顔を観ると、両目が一(いち)になってるではありませんか。

数日前から目全体がゴロゴロし上目蓋が大きく腫れはじめ眼球は充血しているのです。


今朝朝一で眼科へ。診察が終わり担当医が一言。

「アレルギーです。」


何に反応したのかは分かりませんが、繊細な心と身体の持ち主であること事実のようです。

だれが、「はい!わたくし田舎者がです。」


おわり





眼で通じ合う そんな貴女に 逢いたくて

わかんない わかんない わかんない

みなさま

おはようございます。


昨日、息子が通う中学校で三者面談が行われました。ごくごく一般家庭と同じように

カミさんがその席について話し合いをしてきたのですが、その内容が個性豊かな息子

だったのでブログアップになった次第です。


まずはジェスチャー。先生から見えないようにカミさんに指先でしゃべるなとアピールした

そうです。当然のごとく先生が何を質問しているのかは頭の片隅にもありません。

そこで会話の一部です。


先生
「将来は何になりたいの」

息子
「わかんない」

先生
「中学を卒業したらどうしたいの」

息子
「わかんない」

先生
「高校にはいかないの」

息子
「わかんない」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カミさんが帰宅後に報告してくれました。

「話を聞いていないのでわかるわけないでしょ。」


ちゃんちゃん!


これをカミさんが読み一言。

「ネタにするならもう少し優しく接してよ。」


優しさがわかんないんかな?




親が親なら子も子です





2015年12月3日木曜日

相対化と絶対性

みなさま

おはようございます。


今日はものの観方考え方について書いてみたいと思います。

嶋中労の「忘憂」日誌にコメントを書いたことがきっかけで「相対化と絶対性」という

言葉を知ったのである。普段から使わない言葉なので、すぐさま検索。 

「うん。」と納得するようなどれもこれも当てはまらないのでった。


今朝のことである。ものの観方について考えていると、球のように縦横斜めあらゆる角度から

ものを観るのと、ある一面だけしか見ないのではまるきり別なことである。

あ!これって、相対化と絶対性であると気が付いたのです。


分かりやすく例をあげると、日本人の一般的な人の信仰は子に恵まれるとお宮参りをし

その子が大きくなり結婚式を挙げると教会で行い。息を引き取ってしまうとお坊さんに

お経をあげてもらいお供らいを行う。早い話が何でもござれな信仰心で他人を邪魔に

したりしてはいない。

ところが他国へ行くと人の信仰心は一つである。一つの神、仏だけなのである。


どちらが良いとか悪いとかのという問題ではない。どちらも長所と短所を持ち合わせて

いるからである。要はバランスなのだ。


このバランスとは自分を磨くことではないだろうか、向上心お持ちながら現状を納得する。

また、決して現状を他人のせいにはしたりすることがないのである。


言葉にする。文字にするって難し。ちゃんちゃん!



追記、今、昼ご飯を食べていて気が付きました。

これって、執着しないことではないだろうかと。





やじろべい 右も左も あるものか
 

2015年12月1日火曜日

いかるかの

みなさま

おはようございます。


先日書いた会津八一の歌と器ですがもう一つあります。

それは

いかるかの さとのをとめは よもすから きぬはたおれり あきちかみかも 八一

と器に書かれています。


そこでまたもや検索です。

斑鳩の里の娘たちは夜が更けるまで機を織っている。秋が近づいたからであろうか。

とありました。


もう冬を迎えた今日この頃です。


みなさまの心の紅葉は葉が舞落ちているかな。



舞落ちる 母なる大地 待ち受ける
 

人の数だけ

みなさま

こんばんは!


今日、車を運転していて気が付きました。

それは人の数だけ神さま仏さまがいるということです。


たいがいの人はそんなことはあるものかとお思いになることでしょうが

観る目を持つと観えてくるのです。聴く耳を持つと聴こえるのです。そして

感じる心を持つと感じられるのです。全てが神さま仏さまだということです。


今日も今日とで酔っている田舎者でした。






今日も 酔って 日が暮れた