2014年10月22日水曜日

東北の空

みなさん

こんにちは!


直売所の研修旅行から昨日無事に帰ってきました。

視察場所は宮城県東松島市でした。東北道をひた走るバスの中で

高村光太郎、宮沢賢治、村上昭夫・・・ 素晴らしい詩人を生んだ東北地、

想わず詩を詠んでしまいました。



  東北の空

東北の空を観ていると 心が熱く 燃えてくる

東北の空を観ていると 唄が自然と 唄いたくなる

東北の空を観ていると 明日への希望が 湧いてくる



みなさんも東北の空を観に出かけてみませんか。
 

2014年10月19日日曜日

水も滴る

みなさん

こんばんは!


今日ですね。トイレの水漏れが気に掛かり、水を溜めておくタンクをいじっていると

元栓の先の水道管がポキリと折れ、水が噴き出してきました。

水を浴びるやいなや。水道の元を閉めに猛ダッシュ 。

当然、それでもトイレの中は水びたし。


タオルとバケツで掃除を開始し、一息ついたところで上さんと娘が帰宅。

説明し終わると、上さんが一言。

「おとうさんで良かったわ」


新しい部品を購入し修理完了。


水も滴る、どうでもいい男でした。




道元さん 洗面の巻って これですかね










明日から


2014年10月18日土曜日

返せないもの

みなさん

おはようございます。


昨晩のことです。

秋の夜長、ごろごろしながら本を眺めていましたら、いつの間にか寝てしまいました。


本の題名は 「ええなあ!という人生」 紀野一義先生

その中の章に、悲しみから逃れずに。というのがあるのですが、この一年半程でしょうか。

何度となく読んでいます。いや読まされているのかもしれませんが・・・


この章の一つに、人間は受けたご恩をその人には返せない。があり、

未知のある読者の方からの手紙内容を載せながら話が進んでいきます。

その手紙は、次のような出だしで始まります。

 拝啓 「底ぬけの風光」 を読ませていただき、一つお聞きしたいことがあり、

初めてお便りする者です。


内容を簡単に書きますと、母親代わりに育ててくれた祖母が亡くなり、今までの恩を返せない

自分に気がつき、とても後悔しているということです。


そして、本に書かれていたことについて尋ねるようになります。

 ところが先生の御本には 「親を裏切り、師を裏切った者には取り返しはつかない」

とありました。 「生涯ついてまわる。返したってだめである。返せないものである」

とありました。祖母が亡くなってしまって、確かに、返すことは出来ないのですが・・・


著者はすぐに返事を書いたそうです。

それは、「私の烈しい言葉がどんなに深く傷つけたかと思うと、一刻も早く手紙をかいて

あげる責任を感じたからです。」 と本には書かれています。


そして、章の結びへと向かいます。それは父親からの教えです。

私は子供のときから父親に

「人間は、人さまから受けたご恩をその人には返せないものなんだよ。だから、

受けたご恩は、自分の周りにいる他の人にお返しするしかないのだよ」

と教わりました。そのとおりだなあと思います。


みなさんも恩について考えたことがあるかと思われますが、50を迎えて

そんなこんなの田舎者です。

返せないもの、あまりにも多すぎます。





恩 亡くなってから 気がつくもの






 


2014年10月16日木曜日

罰が当たる!

みなさん

おはようございます。


日頃の罰が当たってしまいました。

頭痛・肩こり・・・老眼。


古語にあるように

口は災いの元

とは、よく言ったものですね。





この言葉 誰からの メッセージ

2014年10月14日火曜日

JA雑誌 『家の光』から 3かな

みなさん

こんばんは!


今回は山下惣一さんの手紙を写させていただきます。



 テレビ局の女性ディレクターがわが家へやってきてこういうのです。
 「現代の若者や子どもたちに農業と食べものの大切さを伝えるにはどうしたらいいのでしょか?」
 うーん。私は考え込んでしまいましたよ。正直いって私にもいい知恵はありません。どうしたらいい
のでしょうか。昔から「満腹の子に、躾はできない」といいます。
 「まあ、一度飢えてみるしかないでしょうね」と私はいいました。この問題を長い間考えてきたので
すが私の結論はこれでした。知識で教えてもダメ、体で覚えるしかない。頭で覚えたことは忘れるが
体で覚えたことは忘れない。悲しいかなこれが人の習性のようですね。二度飢える必要はないが、人間は一生に一度は飢えを体験する仏要があるのではないか。これは人間としてのひっこ必須体
験だ。私はひそかにそう考えていますが、
(略)
 さて、昭和二十年の敗戦の年私は小学校の三年生でした。戦後の食糧難を農村で体験したわけですが引揚者や非農家の家庭では田舎でも大変深刻だったようです。学校に弁当を持ってこられ
ない生徒がいて「欠食児童」と呼ばれ、昼食時間には外に出て膝を抱いてじっと空を眺めていた光
景が今も忘れられません。
(略)
 考えてみれば日本人が等しく満足に食べられるようになったのは昭和四十年以降でまだわずか半世紀、たったの五十年。それまでは歴史的に慢性的な食糧不足と飢餓の時代だったのですよね。
(略)
飽食の時代に育った世代がいまや一家の中心に坐っています。飽食の時代は農業軽視の時代
でもあります。
(略)



今日、母校の学習ボランティアにて、塩おにぎりを作ったが炊飯の途中で二人の手紙談義を読んで聞かせた。さみしいかな生徒の反応は無いに等しかった。






膝を抱え 空を見上げて  なに想う 

JA雑誌 『家の光』から 2かな

みなさん

おはようございます。


今日は野坂昭如さんの手紙の一部をここ写させていただきます。


日本は食べものに飢えた経験をもつ。だが戦後、まずアメリカによる食糧援護を受け入れたのを
機に、自国の食いものについて、アメリカの言いなりになってしまう。米を食べると頭が悪くなる、
かわりにパンを食えと、大々的にパンの普及の宣伝がなされ、アメリカの小麦を大量に輸入する
ようになった。一方、農業基本法、減反政策、国の農業政策はことごとく自国の食糧自給という
観点から遠のくばかり。日本ほど四季に恵まれた国は珍しい。細長い島国、全国各地でその地域
に合った農業が行われてきた。それを十把一絡げ、農を経済的観点からだけ考え、やれ成長させ
ろ、攻める農業を目指せとお上は国を挙げていう。農は生きる基本である。収穫だけじゃない。
農業のおかげで水の保全がなされ、山を守り、土を養い、この島国の自然が築かれてきた。
もっぱら食うだけ。土もろくに触れたことのない連中が多くなり、自らの足もとのあやふやさに気が
つかないままでいる。今の日本、農業を棄てようとしている。農を棄てた国は滅びる。農には文化、
伝統がある。農を棄てるということはこの国の文化を棄てるということ。人間にとって農とは何なの
か 、僕は懲りずに考え続けている。



みなさんも一緒に考えてみませんか、秋の夜長に!






農は 頭ではなく 体で覚えるもの