2020年9月20日日曜日

彼岸の入り

 みなさま

おはようございます。昨日は彼岸の入りでいつものようにご先祖さまのお墓参りへカミさんと娘と三人で出かけたのでした。ご本尊向かい手を合わせた後に桶などを準備してお墓に向かうと、花活けと線香台が見当たらず掃除の途中であろう状態と花と大きななカバンが置いてあったのです。

カミさんと娘が白い服を着た女性が花活けを持ってすれ違ったというので、水場へ向かうと途中でその女性らしき人が近づいてきましたので声を掛けてみました。

『あの、お墓間違っていませんか』すると『直美だよ』との一言です。なんだ直美かよとひとり言を言っていると直美はすたすたとお墓へ向かっていったのです。カミさんと娘にはいとこの直美だよと声を掛けると、カミさんは結婚式であっているにも関わらず『初めまして』と挨拶してしまうほどおどろき感いっぱいの状態です。

そして直美と共にお墓の掃除をして、花を生け水とおさごをあげた後に線香を上げたのですが、直美は火を使うのであぶないからと線香は持ってこなかったの事。カミさんがたくさんの線香に火を付けましたので直美に渡しあげると、ただあげるのではなくあげた後にしばらく手を合わせて何かお願いをしているような感じだったのです。

それから自宅に連れて帰り仏壇に線香を上げてもらいしばらく雑談です。すると一人でお墓参りに来た理由が、一心に手を合わせていた意味がわかったのです。昨年暮れに父親が倒れたことからその介護でお母さんが大変なことや自分自身が障害者になっていることを淡々と話してくれたのです。

直美だとわかった瞬間、なにか理由が無ければ母親の実家のお墓参りなど一人でするはずがないと思っていましたが話を聞いてみると複雑な気持ちになった自分がいたのでした。そして父親が公務員であって毎年のように家族で旅行をなどを繰り返していた子供のころの直美。傍から観てるとうらやましい時もあった小学生の頃でしたが、今回改めて教えられたことは、人はみな業・因縁によって生かされているということです。そしてご先祖さまはなぜこのような時をもたらしたのかをしばらく考えてみたいと思います。



生かされて

2020年9月15日火曜日

有朋自遠方来 不亦楽乎

みなさま

おはようございます。
三日ほど前に友が突然に連絡をよこしまして、昨日顔を出してきたのです。その名は❝たいじよう ほうしん❞と言いまして漢字で書きますと帯状疱疹となります。友が訪れた場所は左下瞼の下に当たります。

初めてこの友に出会ったの母親が健在でありましたのでかれこれ15年以上前になります。それから度々目の周りと後頭部に訪ねて来てくれたのですが、ここ5年ほどは音沙汰もなかったので縁が遠のいてなくなってしまうのかと思っていたのです。

そして今回の友は少し自己主張が強く顔の左半分と左肩から腰にかけての痛みと痺れ、なおかつ夜中に痛みで起こされ眠らしてくれない時間帯もあるのです。

そんなこんなで思い出したのが ❝有朋自遠方来 不亦楽乎❞ 同じことを学ぶ仲間が、遠い所からやってやって来るだったのです。同じことをとは何なんでしょうかね。考えてもわかりそうでもありませんので、「痛い痺れる生きている楽しいな」としばらく付き合うことにしてみたのです。そして今ここに痛い痺れる生きている楽しいなと書いてから直ぐに痛みや痺れが和らいでしまったかのように身体が感じられるから不思議なものです。

みなさま、友を大切に!

2020年9月11日金曜日

言葉ひとつ

みなさま

おはようございます。
昨日の夕暮れ時の二時間、畑脇の歩道を除草していると、自動車の往来と共に歩道でありますから十数名の人が通りすぎて行きました。当然のことながらその人たちは顔みしりもいればその日初めてあったであろう人もいるのですが、作業も後半戦でだいぶ暗くなってきたので明日に回そうかなと考えていたところ、犬の散歩をする何度もすれ違っているが名前を知らない70歳はいっているであろう男の人が声を掛けてくれたのです。

『ご苦労さま、助かるよ』

この一言で気持ちが180度転換したかのようにうれしくて、その生きよいのまま除草作業を終わらせたのであります。

この道は市道であって市の管理がなされるべきなのですが、市に対して苦情を出さない限り作業には来てくれません。それはいまだかつてその場所でその作業をしている人に出会ったことが無いからなのです。たかが50mの歩道ですが小学生の通学路であって行き交う人々が気持ちよく通りぬけてくれればよいかなとそんな自己満足の日でもあったのです。

そんなことから教えられたことは、人は何気ない言葉ひとつによって生かされたり殺されたりしてしまうということです。自分自身気を付けなくてはなりませんし、他人を生かせる言葉使いを自然と発せられる人に成りたいものですね。




人 観えない力に生かされて

2020年9月8日火曜日

読み返し

みなさま

おはようございます。
先日、南禅寺管長であられた柴山全慶老師の『長唄越後獅子禅話』を久しぶりに開いてみると、何度か繰り返し読んでいるにも関わらず、新しい発見というか今まで理解できていなかったことがなんとなくわかるような日が訪れたのです。

この本に出合ったのは田舎者が35歳前後で20年以上の歳月が知らず知らずのうちに田舎者を成長させていたようです。そんなわけで秋の夜長をお酒の代わりに読書をすることにしてみました。そして昨日から『法華経の風光』紀野一義を読み返し始めてみたのです。

みなさまもいかがですか、秋の夜長の読書。家にある本を読み返すならお金もかけずに新しい感動を得られるかもしれませんよ。



秋の夜長 貴女と共に 赤ワイン

2020年9月7日月曜日

うま味

みなさま

おはようございます。
数日前に読んだ相対的貧困の記事にて父親が昼間酒で学費を使い果たしてしまって、娘の人生を変えてしまったことなどを具体的に知り今の自分に何が出来るのかを自問自答した結果、お酒を休むことを続けています。

そしてイタリア産の魚醤コラトゥーラ・ディ・アリーチを購入したことはすでにこのブログに書いたのですが、それからまるはらの鮎魚醤とタイ産のナンプラーも購入してしまいました。ここまで読まれた方はもうすでにお気づきの事でしょう、お酒がナンプラーに変わっただけで浪費癖は一向に直っていないということなのです。

そんな田舎者ですが自家栽培した激辛唐辛子をコラトゥーラ・ディ・アリーチに漬け込みなんちゃってタイ風アレンジを食卓で楽しんでいます。そこで改めて教えられたのが魚醤のうま味なのです。その中でも鮎の魚醤はピカイチではないでしょうか。世界中のグランシェフが隠し味に使用しているとのことですがその理由がわかるような気がします。

魚醤は醤油より古い歴史があるそうですが、全てにおいて古いというか歴史が今に生かされるような生き方をしてみたいものです。



激辛が けつの穴で 悲鳴あげ

2020年9月2日水曜日

相対的貧困

みなさま

こんにちは。
数日前の事である。子供の貧困についての記事をなんとなく読んでみると、父親が病気を患い離職したことをきっかけに給食費の3,000円が払えずに先生に嘘をついたり不登校になったことが書かれており、その後は高校から専門学校へ進学するための積立金を父親が昼から酒を飲むようになり使い果たしてしまったそうです。

その娘はその後悩んだそうです。お金がない事に対してどうしたらよいのかということです。AV、風俗のことも考えたそうですが相談相手からのアドバイスもあり大学浪人の道を進み翌年ICUに合格したとのことです。

今ではパートナーに出会い子供にも恵まれたそうですが、それらのことは片時も忘れることのできないことのようです。

そんなこんなで現在の日本における相対的貧困を考え始めると同時に両親ををはじめご先祖さまにただただ感謝しなくてはならない自分がいることに気が付かされたのです。

農業という第一次産業、冠婚葬祭以外は休みがない状態の生活ですが、ご先祖さまが残された田畑のおかげで健康で働き続けることが出来るのであれば食には困ることが基本的にない今、何をしなくてはいけないのか考えてみたいと思います。

えーと、そんなこんなでまたしばらくお酒を止めてみます。




エアコン無く 貧乏という 娘の友