2019年4月11日木曜日

雨の日には雨の中を

みなさま

おはようございます。
昨日は春とは言えないような雪交じりの冷たい雨の日でしたが、田舎者の心を
温めてくれた風景の一コマがありましたのでここに書かせて頂きます。

朝息子を乗せて田圃を横断する国道を進み都幾川に掛かる橋を渡ると母親と手を
繋いで登校する小学一年生らしき一組の親子が目に留まりました。その後この親子の
事が我が頭を占領してしまったのです。そして折り返してくると田圃の真ん中程を
歩く姿が確認されたのです。その時思わず『ガンバレよ陰ながら応援しているからな』
と声を出してしまったのです。

新興住宅地の子たちです。行政の見通しが甘かったのも大きな原因なのですが、
本来であるならば高坂小学校へ通う地区の子が線を引かれてもう入りきれないから
野本小学校へ進学するようにと地域説明会があったのは3年ほど前になるでしょうか。
川を渡り田圃の中の国道を1,500mほど通学します関係から行政はスクールバスを
この地域に限定して運行するようにしたのです。

我が母校である野本小学校。田舎者が在校していた時は遠い子の家は東西3,000m
以上ありましたし、今でも東方面は変わりなく小学一年生でも歩いて通学しています。

雨の日には雨の中を自らの足で歩き通う子供たちへ『負けるなよ』。そして母親と
供にではあるが一人で通う君へ。『君は幸せですね。それを感じることができる時は
いつ訪れるのでしょうか分かりませんが、両親に感謝してください』。

母親は強。



春冷雨 親子で歩く 温かさ



 

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様

ボクも最近は「善人」をやってますので、小学生の通学風景を見ると、
心の中で「がんばれよ、チビ助たち」と声をかけます。

上級生が先導し、下級生がその後をちょこちょことついていくのですが、
そんなグループがあっちにもこっちにもいっぱいあります。

そして校門の前では校長や教頭、近所のボランティアのおじさんやおばさんが
ひとりひとりに「おはよう!」と声をかけ、ハイタッチをすることも。

ボクも一度、この活動に参加したことがあります。
女校長が言うには、「上級生の女の子にはなるたけハイタッチはしないように」
とのこと。ボクはこの言葉に最初、何のことやらわからず戸惑いましたが、
聞けば多感な女の子にやたらさわったりすると、あとあと問題になるとのことでした。

つまり職場のセクハラと同じような感覚でとらえられてしまう、ということらしいのです。
(そこまで言うかよ……)
ボクは半ば呆れ、半ば怒りがこみ上げてきました。

セクハラとかパワハラなんて言葉が市民権を得ると、
勝手に独り歩きし、ささいなことでも訴えたり、訴えられたりします。
ちょっと前だったら気にも留めず、何の問題もなかったことが、
ひとたび言葉として定義されると、その言葉に対してみなおっかなびっくりになり、
触らぬ神に祟りなし、とばかりに腰が引けてしまいます。
世間がどんどん狭くなっていくのです。

「がんばれ」が変な方向の話へ行ってしまいましたが、
「忖度」などという言葉と同じく、やたら世間に出しゃばってくるのです。

世界には貧しさで学校へ通えない子供たちが1億5000万人もいるそうです。
セクハラだなどとバカなことを言ってられるだけ、日本の子供たちは幸せなのです。
豊かすぎると人間はバカになるといいます。

困苦欠乏が人を鍛える、という俚諺が正しいのなら、
現代の日本人は甘ちゃんのダメ人間ばかり、という理屈になります。
ボクはまったくそのとおりだと思います。
ダメです、今の日本人は。

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。
『花ちゃんちって貧乏』娘が小学低学年のころにサッカークラブの友達が
我が家に遊びにきて発した言葉です。それは夏の暑い日だったのですが
エアコンが無く暑さに耐えられなかったのかもしれません。

そしていまだにエアコンが無くその言葉も忘れることができません。

困苦欠乏のなかに人の優しさがある環境。豊かさのなかに厳しさを教えて
くれる人がいる環境。そんな環境を作れる人になりたいですね。

ありがとうございます。