2017年7月24日月曜日

駐車場にて

みなさま

こんにちは。


一週間ほど前になりますか、老眼鏡をなくしまして探していたところ

木っ端微塵になってしまった物が駐車場に転がっていました。


それからしばらく眼鏡のない生活を過ごしていたのですが、眼が不自由になって

初めて気が付くこともあるものです。


その一つが物です。何不自由なく物に満ち溢れていれば幸せかというと

そうではないんですね。具体的な例をあげますと、食生活、食べ物が不自由なくあり

いつでも満腹状態でいますと、ありがたさがなくなり無駄にすることが多くなるんです。

それと同じようなことが眼にも身体にも当てはまり、学ぶべきことが沢山あった出来事

だったのです。


一昨日、本は読めない、パソコンのキーボードは打てない、・・・なので、ハズキルーペを

買い求めてきました。


見えるって、ありがたいことです。




幸せは 不自由からの 始まりか

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様

ハズキルーペはボクも愛用しています。
娘たちが「父の日」に買ってくれたんです。

おっしゃるとおりで、モノがあふれていると感謝の念が薄れます。
「困苦欠乏が人を鍛える」と佐藤愛子さんは言いました。

何ごとのおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる……
日本人はこんな心情を抱きながら生きていくのが一番なんでしょうね。

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。
その後の体調はいかがでしょうか、土用の真っただ中です
ご自愛を。

西行のこの歌、なんとなくわかるような気がします。
神仏に生かされていると感じてしまう出来事、自動車事故を
起こしたことがあるからです。車は廃車になりましたが、自分と
友は無傷です。その時感じたのです。
「まだ生きなさい」という変な感覚を。

それと佐藤愛子さんのように生き抜くためには、しっかりした
精神力をもたないといけませんね。

ありがとうございました。