田舎者の野菜ファンの一人からメールをいただいた。
野菜、有難うございました
厚顔なるお願い、お聞き届け戴き、感謝しております
蕗の薹の春の風味、天麩羅にいたしました
三つ葉はだしで煮浸しに
芽キャベツは蝦醤風味で炒めました
以前から気になっていたシフォンケーキはデザートに
実直な味わいでした
とても口福な夕食になったね、と家内も喜んでおりました
有難うございます
どのように言葉にしたら良いのか分からないが。
国民が自粛することで負の部分が農家を風評被害と共に経営を追い込んでいる。
外食店が営業しない営業してもお客さんが来ない。
よって、市場の値がつかない。
また、一般消費者は買い控えている。
例えば茨城産の水菜が一箱一円では農家は赤字だ。
収穫しない、出来ない野菜を百姓はどうしたらいい!
このままで良いのだろうか。
食べられる 幸せ全て 口福だ
会津八一 “八一”という名前は1881年8月1日に生まれたから、 小学校卒業の時、将来の夢と聞かれて、同級生はほとんど総理大臣や陸軍大将になりたいと書いた。しかし、八一はたった一人、ただの農民として一生を暮らしたいと書いた。 そんな八一に憧れる百姓です。
2011年3月28日月曜日
2011年3月27日日曜日
みんなに 上野千里
みんなに
かなしみの尽きぬところにこそ
かすかなよろこびの芽ばえの声がある
あつい涙のその玉にこそ
あの虹の七色は映え宿る
人の世の苦しみに泣いたおかげで
人の世の楽しみも心から笑へる
打たれ踏まれて唇を噛んだおかげで
生まれてきたことの尊さがしみじみ分かる
醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
見てごらん ほら あんなに青い空を
みんなが何も持っていないと人が嘲っても
みんな知っている もっと美しい本当に尊いものを
愛とまことと太陽に時々雨さえあれば
あとはそんなにほしくない
丈夫なからだとほんのすこしのパンがあれば
上機嫌でニコニコ歩きたい
それから力いっぱい働こう
そうして決して不平は云わずに
何時も相手の身になって物事を考えよう
いくらつらくても決してひるまずに
どこかに不幸な人がいたら
どんなことでも力になってあげよう
もしすっかり自分を忘れてしてあげられたら
もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう
うつむいていればいつまでたっても暗い空
上をむいて思いきって笑ってごらん
さびしくてどうしても自分がみじめにみえたら
さあもっと不幸な無数の人人のことを考へてごらん
道はどんなに遠くても
おたがいいたわりあい
みんな手をとり合って歩いてゆこおう
悲しいときはともに泣き
楽しいときはともに笑い
かたを組み合って神のみさかえをたたえよう
朝 お日様が昇るときは
あいさつに今日もやりますと叫びたい
夕べ お日様が沈むときは
夕焼け空をじっと見つめて坐っていたい
心にはいつもささやかな夢をいだいて
小鳥のようにそっと眠り
ひまがあったら古い詩集をひもといて
ひとり静かに思いにふけけりたい
幸せは自分の力で見出そうよ
真珠のような涙と太陽のような笑いの中に
今日もあしたも進んでいこうよ
きっといつの日か振りかえって静か微笑めるように
偽って生きるより偽られて死に
偽って得るより偽り得ずに失えと
天国からじっと見守っているお父さんに
手をふってみんな答えておくれ
なんどころんでもまた起きあがればいい
なんだこれしきのことと笑いながら
さあみんな ほがらかに元気一ぱい
さわやかな空気を胸に大きくすいながら
田舎者 泣くも笑うも 一日よ
かなしみの尽きぬところにこそ
かすかなよろこびの芽ばえの声がある
あつい涙のその玉にこそ
あの虹の七色は映え宿る
人の世の苦しみに泣いたおかげで
人の世の楽しみも心から笑へる
打たれ踏まれて唇を噛んだおかげで
生まれてきたことの尊さがしみじみ分かる
醜い世の中に思わず立ちあぐんでも
見てごらん ほら あんなに青い空を
みんなが何も持っていないと人が嘲っても
みんな知っている もっと美しい本当に尊いものを
愛とまことと太陽に時々雨さえあれば
あとはそんなにほしくない
丈夫なからだとほんのすこしのパンがあれば
上機嫌でニコニコ歩きたい
それから力いっぱい働こう
そうして決して不平は云わずに
何時も相手の身になって物事を考えよう
いくらつらくても決してひるまずに
どこかに不幸な人がいたら
どんなことでも力になってあげよう
もしすっかり自分を忘れてしてあげられたら
もうそれできっと嬉しくてたまらないだろう
うつむいていればいつまでたっても暗い空
上をむいて思いきって笑ってごらん
さびしくてどうしても自分がみじめにみえたら
さあもっと不幸な無数の人人のことを考へてごらん
道はどんなに遠くても
おたがいいたわりあい
みんな手をとり合って歩いてゆこおう
悲しいときはともに泣き
楽しいときはともに笑い
かたを組み合って神のみさかえをたたえよう
朝 お日様が昇るときは
あいさつに今日もやりますと叫びたい
夕べ お日様が沈むときは
夕焼け空をじっと見つめて坐っていたい
心にはいつもささやかな夢をいだいて
小鳥のようにそっと眠り
ひまがあったら古い詩集をひもといて
ひとり静かに思いにふけけりたい
幸せは自分の力で見出そうよ
真珠のような涙と太陽のような笑いの中に
今日もあしたも進んでいこうよ
きっといつの日か振りかえって静か微笑めるように
偽って生きるより偽られて死に
偽って得るより偽り得ずに失えと
天国からじっと見守っているお父さんに
手をふってみんな答えておくれ
なんどころんでもまた起きあがればいい
なんだこれしきのことと笑いながら
さあみんな ほがらかに元気一ぱい
さわやかな空気を胸に大きくすいながら
田舎者 泣くも笑うも 一日よ
2011年3月26日土曜日
2011年3月24日木曜日
日本国民として
こんばんは!
昨年末から思い出せずにいた
伊藤左千夫の歌です。
さびしさの極みに立ちて天地に寄する命をつくづくと思ふ
左千夫四十六歳
世の中を怖ぢつつ住めど生きてあれば天地は猶吾を生かすかも
左千夫四十八歳
世間のの目を怖しいと思い、小さくなって生きていた。それでもまだ生きている。
死なないでまだ生きている。これは天地がなおわたしをいかしていてくれるからだと
いっている。どんなに追いつめられても死ぬことはできない。おまえはまだこの世に
生きていなくてはならぬ人間だと天地が生かしていてくれるのだから、わたしは
死ぬわけにはいかない。
『佛との出会い』 紀野一義著より
日本国 日本人なら 立ち上がる
昨年末から思い出せずにいた
伊藤左千夫の歌です。
さびしさの極みに立ちて天地に寄する命をつくづくと思ふ
左千夫四十六歳
世の中を怖ぢつつ住めど生きてあれば天地は猶吾を生かすかも
左千夫四十八歳
世間のの目を怖しいと思い、小さくなって生きていた。それでもまだ生きている。
死なないでまだ生きている。これは天地がなおわたしをいかしていてくれるからだと
いっている。どんなに追いつめられても死ぬことはできない。おまえはまだこの世に
生きていなくてはならぬ人間だと天地が生かしていてくれるのだから、わたしは
死ぬわけにはいかない。
『佛との出会い』 紀野一義著より
日本国 日本人なら 立ち上がる
2011年3月22日火曜日
2011年3月11日金曜日
2011年3月10日木曜日
2011年3月9日水曜日
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