会津八一 “八一”という名前は1881年8月1日に生まれたから、 小学校卒業の時、将来の夢と聞かれて、同級生はほとんど総理大臣や陸軍大将になりたいと書いた。しかし、八一はたった一人、ただの農民として一生を暮らしたいと書いた。 そんな八一に憧れる百姓です。
みなさま
おはようございます。
昨日、キャベツを持って裏のおばさんちに立ち寄りました。すると、父の従弟にあたる喜之ちゃんの連れ合いの道子さんが渋柿を皮をむき干して干し柿を作ろうとしてるではありませんか。そこで道子さんがこんな言葉を発したのです。
『おばさんが好きでよ干してある柿をもぎって勝手に食べてポケットに2個しまって帰るんだから』
たったこれだけの事なのですが温かな秋の夕暮れ時に命日を前にしての思わぬ母との出逢いであったのです。
母想う 漢はみなよ 子どもへと
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