2018年4月22日日曜日

それぞれの春

みなさま

おはようございます。
長い春休みをいただきましてこの詰まらないブログも再出発をさせて頂きます。
再出発と書きましたが特別変わることはありません。ただ単に助平親父の戯言ですので
そのことだけはご理解をいただければ幸いです。

この春、二人の子供たちがそれぞれの道を歩み始めました。長男は中学生から高校生へ
長女は小学生から中学生へ。自身を振り返ってみますとその時は気が付かなかったのですが
人生の岐路とでも言いましょうか、新たな出会いへと進んでいったような気がします。
なんとなくうれしいような悲しいようないまだそんな春の日を過ごしている親バカです。

親とは違う道を歩み始めたのが長男で毎日駅までの道のりを特別なことが無い限り
40分を掛けて歩いてゆきます。革靴になれず靴擦れができオラウータンのように
左右に身体を揺らしながら歩く姿はおかしいのですが、自分には出来なかった事なので
感心している次第なのです。

そしてこの田舎者ですが、つい最近の報道が気になるのです。美しい女性に気やすく
声もかけれない時代へと変わってしまったのかと嘆いている日々を過ごしております。

おねーちゃん、ハグする。おねーちゃん、チューする。おねーちゃん、.....。

そして思うのです。セクハラ、パワハラと言う言葉は新しいのですが内容的には
いじめなどと一緒で人類が誕生した当時からいままでの歴史があるように思うのです。
これもまたそれぞれの春なのかもしれません。


芽吹き時 感じてしまう 心あり

2 件のコメント:

嶋中労のプロファイル さんのコメント...

田舎者様
子供たちが大きくなっていくのを身近に見るのは
嬉しいことですが、半分心淋しいものですね。

人生は短い。ボクもあっという間に白髪のおじいさんになってしまいました。
ついこの間まで、学生気分が抜けなかったのに……

セクハラ、パワハラが人類創生以来続いている、という意見に賛成です。
この世には男と女しかおらず、互いに求め合っているのですから、
セクハラなどは当然起こるのです。

笑って済ませられないところに現代社会の息苦しさがあります。

F次官はちょっとやり過ぎました。
言葉がいかにも品性にも欠けていました。
偏差値秀才というのは、おじさんになるとこうなります。
勉強ばかりして、若い頃に適度な遊びをしてこなかった報いでしょう。

東大出の高級官僚にはこうした〝できそこない〟が多いのです。
うちのカミさんが外務官僚と仕事をした時、
その横柄な態度と〝上から目線〟にはほとほとウンザリした、と言ってました。

ボクなんかは「役人ふぜいが」という視線をいつも忘れないので、
ビビったりすることはまずありませんが、
彼らに身についた慇懃無礼というのはすさまじいものです。

田舎者さんもよく「うちの豚児は……」などという言い方をしますが、
おバカなリベラル派に言わせると、これもパワハラに当たります。
「愚妻」などと言った日には、「Me Too」などというプラカードを掲げた
黒服姿の女どもが押しかけてきます。

シャレの分からない世の中はいやですね。
「リベラル=左翼」を旗印にした〝進歩的〟な人間どもが
社会をますますとげとげしいものに塗り替えようとしています。

ねえ、チューさせて。
ねえ、ハグさせて。
どこがいけないんですか?

ボクなんかいつだって向こうから「ねえ、ハグしましょう」
と言ってきます。F次官はまだまだ修行が足りません。

田舎者 さんのコメント...

嶋中労さま

おはようございます。
人間社会が男と女で成り立ってる以上、男は女を口説いてなんぼ。
女は男に口説かれてなんぼ。というのが自然のような気が気がするのです。

男女それぞれ口説き口説かれながら自分の子孫を残すにはどの相手がよい
だろうかとか、今後生活するうえで自分の理想に近い人なのかと品定めを
しているのではないでしょうか。

それにしても労さまのご指摘にあるように、
「笑って済ませられないところに現代社会の息苦しさがあります。」
酸欠で苦しむ金魚鉢の金魚になっている田舎者なのです。

人間、笑ってなんぼの人生ではないでしょうか。

ありがとうございました。