みなさま
おはようございます。最近つくづく感じるのですが、死ぬのが怖くなっています。20代のころから『我が人生60歳で定年』と豪語していたことの影響もあるのでしょうが、60歳を前にして世の中の仕組みの一部が分かり始めたのと同時に死ぬのが怖くなり始めたともいえるのです。
裏を返せば生き抜くことも世界が分かり始めると怖い物なのです。人間的に今でも未熟なのですが、世界に眼を向け始めることをし始めてみると、人間って恐ろしいなと思うような出来事があったり。こんなにも優しいのかと感じられる人たちの出来事に出会ったり致します。
これらも本来は人間というか世の中というか世界全体の裏表なのかもしれませんね。そんな中今朝も眼が覚めたことに感謝してしまいました。
おわり。
2 件のコメント:
田舎者様
ご無沙汰しております。こっちはまだ死んでおりません。
あの世ではうまいビールも、うまい焼き鳥も食えないでしょうから、
毎日せっせと酒を飲み、身体に悪いホルモンをたらふく食べています。
死ぬのが怖いですか?
まだ還暦前でしょ?
こっちはひと回り上で、ようやく死というものを身近に感じる年になりました。
朝トモの中にも、何人か欠けてきました。
自然の営みですから逆らっても仕方ないのですが、(あと何年生きられるかな……)とはよく思います。
健康であれば長生きはすばらしいですが、寝たきりで頭がボケ、周囲に迷惑をかけるんだったら、
きっぱりと願い下げ。
みんな口では「ピンコロで死にたいね」なんて言いますが、実際「ネンコロ」になっちゃう人が多いんです。
死を身近に感じる年になったら、「生」を大事にしていきたいね。
カミさんや子供たち、孫たちと支え合って幸せに生きる。
後悔のない人生を送りたいですね。
嶋中労さま
おはようございます。
労さま、酒が呑めて焼き鳥が美味しく食べられることが出来るなんて
最高の人生を歩んでいますね。
そして本題の死の恐怖ですが、年齢には関係が無いと感じております。
10代で難病の発症分ると気が狂ったように暴れ回るそうですが、何かに気が付くと
自分の命が尽きるまで家族や医師や看護婦さんと静かに日々を送り周りの方々を
幸せにしてくれる人がいるとということを本を読んで学んだ事があります。
自分自身が気が付くことも大切ですが、そのことによって周りの人も気が付く
きっかけを作ってあげることは、もっと大切なことだと思います。
親の気持ちが分かり始めた60歳手前です。
ありがとうございました。
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