みなさま
おはようございます。先日の15日にて終戦後77年の歳月が流れ今があるのですが、ウクライナとロシアの戦争をきっかけにして安全保障をあらえる面で考えるようになってきたように感じられるのですが、食糧安保に関しては国民の理解を求めるような国の政策がなされていない事に憤りを覚えてしまいます。
そんなことから生前の母の言葉が蘇ると共に今の日本国が経験しなくてはならないことをある意味必要なのかもしれないのです。
『戦争中に学童疎開にきていた子供たちはお昼ご飯の時間になると校庭に出せれてしまうんだよ。弁当といってもサツマイモを蒸かしたやつだったりするのだが、それを奪い取っていく子たちが沢山いてね、自分は我慢すれば家で食べられるがその子たちは疎開先でも満足に食べれなかったようだよ』
母も本物の飢えを知らないと思うましてや田舎者はなおさらである。でも母が観て経験したことは事実なのだから飢えという時は人を狂わせてしまうのだろう。逆にそこまでいかないと日本国は変わらないのではないでしょうか。
自動車ではお腹が満たされないことに日本国民が気が付くべきなのです。その飢えでも死なないのが政治家と軍隊の上層部と大企業の人々であることを。
飢えと腹が減ったでは大違い