2018年4月30日月曜日

変えられないもの

みなさま

おはようございます。
最近公の場にでる機会が増えまして幅広い年齢層の方々と交流をするようになり
幾つかのことで思い考えさせられます。

その一つが生まれ育ちです。その人は気が付いていないのかもしれませんが
毎回のように手をあげて自分の考え方をや知識をひけらかすかのように質問をする
人が数人いるのです。その人たちの態度を観ていますと生まれ育ちというものは
知らず知らずのままにでてしまうものなんだと教えられたわけなのです。

そうです。人間親を選べないのと同時に生まれ育ちを変えることはできないし
隠そうと思っていても隠せないものです。

所詮、田舎者は田舎者、助平親父は助平親父、それでもなお美しき人になりたく候。



新緑の あふれる命 わが命

2018年4月26日木曜日

衣食足りて

みなさま

おはようございます。
最近やっとこ理解できた言葉があります。それは
「衣食足りて礼節を知る」です。

根本的に「衣食断ちて」と間違って覚えていましたので理解できないのは
当り前だったのですがね。

それがどうして理解できたかというと、公の立場で会議会合を繰り返している内に
その場に相応しい言動などが必要であることが感じ取れたのです。それならばと検索。
間違って覚えていたことが判明できたのです。

人間が生活する中で「衣食」の大切さを教えられたのでした。

こんな風に書きますと前職の仲間たちは
「どの口で言ってんの、呑んで喰ってさんざん暴れたくせに。」と言うことでしょう。

それにしても世界を見渡してから日本を観てみますと衣食が有り余っている国
なのかと感じられます。ある意味では日本国は恵まれ過ぎた国かもしれませんが
見方を変えると心の貧しい国なのかもしれません。


衣食足り 見失ったよ 我が光

2018年4月25日水曜日

いつまでつづくやら

みなさま

おはようございます。
今、朝食を済ませたところなのですが、食事をしながらふと思ったのです。

父親が亡くなってから一年半を迎えようとしていますが、家族四人がそろって
自宅で食事を共にする時間はあと何回あるのだろうか、ということです。

今では珍しいのかもしれませんが、白米のご飯に味噌汁、目玉焼きか納豆、
その他あれば副菜が一品。

この歳になり今日気が付かされたのです。ありきたりな食事内容だけれど
毎日家族で顔を合わせて食事がとれる幸せを。

みなさまの幸せってなんですか。



朝の雨 心の塵を 流しけり

2018年4月22日日曜日

それぞれの春

みなさま

おはようございます。
長い春休みをいただきましてこの詰まらないブログも再出発をさせて頂きます。
再出発と書きましたが特別変わることはありません。ただ単に助平親父の戯言ですので
そのことだけはご理解をいただければ幸いです。

この春、二人の子供たちがそれぞれの道を歩み始めました。長男は中学生から高校生へ
長女は小学生から中学生へ。自身を振り返ってみますとその時は気が付かなかったのですが
人生の岐路とでも言いましょうか、新たな出会いへと進んでいったような気がします。
なんとなくうれしいような悲しいようないまだそんな春の日を過ごしている親バカです。

親とは違う道を歩み始めたのが長男で毎日駅までの道のりを特別なことが無い限り
40分を掛けて歩いてゆきます。革靴になれず靴擦れができオラウータンのように
左右に身体を揺らしながら歩く姿はおかしいのですが、自分には出来なかった事なので
感心している次第なのです。

そしてこの田舎者ですが、つい最近の報道が気になるのです。美しい女性に気やすく
声もかけれない時代へと変わってしまったのかと嘆いている日々を過ごしております。

おねーちゃん、ハグする。おねーちゃん、チューする。おねーちゃん、.....。

そして思うのです。セクハラ、パワハラと言う言葉は新しいのですが内容的には
いじめなどと一緒で人類が誕生した当時からいままでの歴史があるように思うのです。
これもまたそれぞれの春なのかもしれません。


芽吹き時 感じてしまう 心あり